« 【04】 京成大和田 | トップページ | 【電車バトン】 »

2007年8月18日 (土)

【05】 平和島

Heiwajima_5128_15t_940527   《「デハ712のデジカメ日記2007」に連動してみました》

平和島駅へ到着する川崎発北総線直通 「急行千葉ニュータウン中央」行です。

京急・京成をはじめ、首都圏の列車画像を豊富に紹介しているブログ「デハ712のデジカメ日記2007」では、8月に入ってから、朝の平和島駅での撮影画像を多く紹介しています。
お世話になっているデハ712さんからは、先日コメントをいただきました。ありがとうございます。そこで、お礼の意味も込めまして、私が平和島駅で撮った画像を紹介します。

《撮影するチャンスが少なかった8両編成の北総線直通列車》
平日の早朝から5000形撮影に出かけ、新馬場駅で上り列車を撮った後、平和島駅へ移動して捉えたものです。

撮影した1994(平成6)年当時、平日の日中と休日の北総線直通列車は、6両編成限定の空港線羽田駅発着だったために、京急線内で8両編成の「千葉ニュータウン中央」行を撮る機会は時間帯も含めて限られていました。

撮影当日の8両編成の千葉NT行の使用車両は覚えていませんが、2本目の15Tで捉えることができました。15Tの平和島発は7:11、下り普通列車が7:10でしたが、被られることなく編成全部が入りました。

このアングルは、夕方では逆光となるために、順光で撮るためには午前中の撮影となります。ところが、8両編成の千葉NT行は、休日午前はゼロ・平日午前でも3回しかありません。そのうえ、その限られた運用は5300形と5000形との共通運用ですから、5000形で撮れるチャンスはさらに少なくなってしまいます。

平和島駅 午前8両編成千葉NT行時刻表 1994(平成6)年4月1日改正
(平日) 05T 6:24    15T 7:11   13T 9:02   3本とも川崎始発
(休日) なし

▼5125-5128は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業向け5次車で登場(近畿車輛製造)、1996年1月10日廃車。
(1994(平成6)年5月24日撮影)

Heiwajima_7168_71n_940524 《羽田へ乗り入れできない北総車》
やってきたのは北総7150形、元京急の1000形です。京急線内では急行灯を点灯して、京急時代と同じ高速運転をしていました。

北総車の京急線の乗入れ先は、現在では羽田空港になり、「川崎」行は、いまや正月の箱根駅伝の日くらいしか見る可能性がなくなりましたが、撮影当時は8両編成が空港線へ乗り入れできないため、京急線へ乗入れる北総車両はすべて川崎行でした。

川崎へ乗入れる北総車のなかでも、画像の71Nは、川崎で到着後に「急行 新逗子」行と行先を変えて、さらに京急線を走る運用になっていました。そのため、北総車の「新逗子」表示は、京急川崎以南でだけ見られた希少な存在でした。(後に一時期、北総車による千葉NT発新逗子行運用が設定されました。)

これだけの広域の運用が設定されたのも、8両固定編成揃いの北総・公団車が空港線羽田へ乗り入れできなかったことに由来するものでした。

71Nの新逗子乗入れ運用
千葉NT 7:33(北総線内も急行)→川崎 8:54/9:03→ 新逗子 10:00/10:04→ 新町 10:35 川崎 17:40→(以下、省略)

《北総7150形=元京急1000形》
画像の車両は、1991(平成3)年の北総線高砂延伸開業時に、元京急1000形を北総が購入したものです。1000形は北総車の運転区間であればその性能は十分なうえに、経年車とはいえ冷房装備だったことで、導入したものとみています。

外観は塗装変更のみですが、ステンレスカーぞろいの北総線車両にあわせたシルバーに青帯の姿となりました。青帯の幅は、京急時代の白線を利用したようにみえます。7150形引退後は、京成車両をリースする形で補充しましたが、この塗装は引き継がれませんでした。

▼7161-7168は、1991(平成3)年北総線2期線開業に伴い、新車7300形とともに用意された車両。元京浜急行電鉄の1107-1118のなかから、8両固定編成となるように組み替えて組成した編成でした。1995(平成7)年9月、都営5000形全車引退してまもない時期に廃車。

京急1107-1112 1113-1118は、1962(昭和37)年10月に竣工、製造当時から前面貫通扉を装備(ただし表示器は独立窓ではなく、前面窓内側に設置)、1983年~1986年に冷房改造を受け、1990年12月~1991年2月に京急で除籍。

Heiwajima_3718_91k_940524 《京成車による北総線直通運用》
快速特急を退避後に出発した、京成3700形の急行「千葉NT」行です。

撮影当時、6両編成の京成車による北総線ー羽田直通運用が平日1編成・休日2編成で設定されていましたが、平日のみ8両編成の京成車担当運用が午前 91K・夕方 71Kの2本ありました。

画像は平和島8:43発 91K 急行千葉NT行です。当時京成3700形1次車はまだスカートが装着されていませんでした。

京成3700形も8両固定編成でしたから、北総車・都営5300形と同様に北総線直通運用に充当するのは、平日のみでした。

△3711-3718は、日本車輛製造の1次車で、3701-3708と共に(現)成田空港駅開業の1991年3月に登場。
入れ換えで非冷房車が廃車されたことで、営業用車の全車冷房化達成。通勤車初のVVVF制御、前面は鋼製。1991年4月登場の1編成とあわせた3編成が1次車で、2次車以降装着されたスカートは1995年に取付け。
(以上3枚、1994(平成6)年5月24日撮影)

Heiwajima_5093_11t 《見慣れた5000形6両編成が大活躍の「急行 羽田」行》
5000形といえば、長らく6両編成が定番でしたが、1991(平成3)年の北総線直通運転開始時より、4両固定をつなげた8両編成が登場します。

ところが、1993(平成5)年4月より開始した空港線羽田直通は、まだ空港線が8両編成に対応していなかったために、羽田行は必然的に6両編成となりました。そのため、6両編成の5000形は、全車引退まで1年を切った時期でも見ることができました。

休日の11Tは、羽田11:14発から千葉NTとの間を3往復半したのち、千葉NT発西馬込行で入庫していました。

▼5093-5096は1968(昭和43)年5月大門-泉岳寺間開業・京急線直通運転向け4次車で登場(日本車輛製造)、1995年10月14日廃車。
(1994(平成6)年9月23日 14:09撮影)

【北総7150形車歴の参照文献】
・雑誌「鉄道ピクトリアル」1998年7月臨時増刊号 京浜急行電鉄特集
 「私鉄車両めぐり 京浜急行電鉄」園田 淳・新澤 仁志・萬谷 彰
 「他社へ行った京急の車両」高嶋 修一
【京成3700形車歴の参照文献】
・雑誌「鉄道ピクトリアル」2007年3月臨時増刊号 京成電鉄特集
 「京成電鉄 現有車両プロフィール2007」稲葉 克彦

« 【04】 京成大和田 | トップページ | 【電車バトン】 »

コメント

デハ712さんから、ブログ「デハ712のデジカメ日記2007」へのリンク設定の快諾をいただきました。ありがとうございました。

「デハ712のデジカメ日記2007」では、京急・京成・西武線をはじめ、首都圏の鉄道の今の姿を紹介しています。私も好きな京急1000形の画像も多く、ブログのファンです。

はじめまして。書き込みさせていただきます。
浅草線ユーザーですが、5000は現役時代に一度も乗車した事がありません。しかし、貴ブログを見て一昔前の浅草線はこんな感じである事が分かり、改めて勉強になりました。

北総・京成車の乗入れ区間は現在は羽田空港(箱根駅伝臨時ダイヤ時は京急川崎まで)となりました。今思えばあの頃は華やかだったに違いありません。京成車の三崎口行き、北総車の新逗子行きなど横浜方面へ向かう運用の復活は難しいでしょう。京急は120㌔運転を行うに対し、京成・北総車は最高速度が100~110㌔です。両車が現在羽田空港しか行かなくなったのはこのような理由も含まれています。都営車の本線運用も朝夕が中心になりましたし、時代の流れを感じます。

話を変えますが、私のブログと相互リンクを結びたいのですが、いかがでしょうか?私のブログを見て判断していただけたら幸いです。

コメントありがとうございます。

都営5000形の乗車体験のないA80&481さんからコメントをいただけて嬉しいです。

☆5000形は他社へ譲渡されず
東京の地下鉄車両は、営団(東京メトロ)を含めて、いろいろと他社へ譲渡した事例があったのですが、浅草線用と新宿線用車両の譲渡が行われていません。

都営5000形は引退後、保存や留置車両の公開も実施されませんでした。ファンとしては残念なことです。京成もグループ会社以外への譲渡の事例が少なく、同様に京成で形式消滅してしまえば、数年後には全車引退となってしまいます。

以前、鉄道雑誌『鉄道ピクトリアル』の裏表紙に営団銀座線や日比谷線用車両・都営三田線用車両譲渡の広告が掲載されていたことがありました。熱心な鉄道ファンが読者層とはいえ、さすがに個人で車両を購入する人がそういるとは思えず、おそらく事業者向けの広告だったと思います。そして広告掲載後、広告に出された形式は実際に譲渡されていますので、この広告の効果もなかったとはいえないかも。

☆華やかな時期
当ブログが扱っている時期は、浅草線開業当時に用意された車両の引退が各者で始まった頃です。とくに都営・京成の車両にとって平成3年が大きな境目になります。北総も含めVVVF制御の新車が登場(京急は平成2年秋に1701Fが最初)し、都営5000形と京成赤電の廃車が始まったのが平成3年なのです。

釣掛式電車の場合とは異なり、性能面では大きな差がないこともあって、京急線乗り入れ以外での性能面の運用限定は少なく、新旧取り混ぜた活躍が見られた時期でした。こんどはどの車両が来るのかを待つ楽しみは、いま以上だったことでしょう。

☆京成車の横浜以遠乗入れ
京成車や北総車の川崎以遠の乗入れ運転は、実際行われていたときも1往復のみで、大騒ぎをしているのはファンのみ、という状況でした。都営車が初めて特急列車運転に充当される改正時には、5000形が使われることがあるのだろうか?と気になってしまい、夜間1往復の列車の使用車両を何度も観察に出かけたこともありました。(結果的に5300形限定だった模様)

最高速度の面でいえば、京成も営業運転時速120キロ対応車両の登場が確実です。今年発売された雑誌『鉄道ピクトリアル』京成電鉄特集臨時増刊号の成田新高速鉄道に関する記事には、一般特急も時速120キロでの営業運転の計画があるとのことですから、川崎以遠の乗り入れの可能性がまったくないとも言えないと思っています。

早朝深夜に横浜方面~成田空港の優等列車を定期運行すれば、待避させる列車も少なく済み、定時性の面で一定の需要が見込まれるのではないかと感じます。首都圏各所からの空港リムジンバスの利用客が早朝深夜便に多いという面を受けての考えです。

☆リンク
リンクのお申し出ありがとうございます。ブログを拝見いたしました。
相互リンク宜しくお願いします。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【05】 平和島:

« 【04】 京成大和田 | トップページ | 【電車バトン】 »

フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ
電車画像 Powered by SEO