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2007年9月16日 (日)

【06】 五反田

Gotanda_5029_33t 《やむなく五反田で迎えることに》
今回は、北総開発鉄道との相互乗り入れ開始初日の1991(平成3)年3月31日に撮影した画像を紹介します。
 当日は残念ながら、高砂ですら現地訪問する余裕がありませんでした。そこで、当時住んでいた目黒に最も近い五反田駅ホームで撮影することにしました。

とは言うものの、地下駅での撮影は不慣れでして、当時所有していたコンパクトカメラ持参です。撮影はフラッシュを使っていますが、最後部車を狙い、車掌さんのドア開閉時とならないように気をつけました。   最後部であれば、五反田駅は階段やトイレとも無縁で人通りがなく、撮影向きの位置でした。この日は日曜日、人出の少ない早朝からの訪問です。

《表示方法は如何に!「千葉ニュータウン中央」行》
この日から北総・公団線へ乗り入れる都営車と京成車が「千葉ニュータウン中央」という文字数の多い駅名を、どのように表示するのか?それを確認することが早朝訪問の最大の目的でした。これまでの5000形での行先表示は最大4文字でした。(「東日本橋」「成田空港」成田空港は使用実績はないと思われます)

京成線には「千葉中央」が存在しますので、京急線お得意の省略表示(神奈川新町を「新町」)もできないはずなので、どのようにするのだろうと思っていました。
 そこへやって来たのが、この行先表示です。ニュータウンを2段表示に脇を漢字2文字ずつに収めるという、窮屈ながらも「千葉中央」との違いもわかりやすい表示となりました。 ちなみに京成車の場合はこちらへ。

1991(平成3)年3月31日6:29撮影 休日の33Tは6両編成で、西馬込6:22発千葉NT7:46着の運用からスタートし、千葉NTー川崎間を4往復。千葉NT21:21発西馬込22:43着の後、さらに泉岳寺まで1往復してから西馬込着23:24で入庫でした。 休日の西馬込発千葉NT行都営車では33Tは2本目、1本目は西馬込5:27発の13Tでした。(初発には間に合いませんでした)

1991年3月改正時の、北総線直通休日ダイヤに関してはこちらへ

▼5029-5030は1962(昭和37)年5月浅草橋-東日本橋間開業向け2次車で登場(ナニワ工機製造)、1994年6月29日廃車。

Gotanda_5081_17t 《5000形8両編成も初登場》
1991年3月のダイヤ改正のもうひとつの目玉は、5000形8両編成の運用開始でした。京成・京急車共に、既に8両編成が都営浅草線へ乗り入れていましたのが、長らく6両編成が最大編成でした。待望の8両編成登場です。

北総線直通運転開始にあたっては、北総・公団車が元新京成の800系以外は全編成が8両編成可能になるとともに、都営も新車5300形が8両固定編成で投入されました。5000形も全車ではありませんが8両編成に組成された編成が用意されました。4両固定の2本連結が8両編成の基本組成です。

このときのダイヤ改正は、成田空港新駅開業の3月19日に実施され、3月31日の北総線延伸開業は、その時点で考慮されたダイヤとなりました。したがって、8両編成運転開始は3月31日から12日も前から始まっていたはずなのですが、そのあたりの事情をあまり気にせずにいたために、3月31日になって初めて8両編成を見ました。

《いよいよ都営車が旧成田空港まで乗り入れ区間を延伸》
休日ダイヤでの西馬込発都営車8両編成初発は、この17Tです。西馬込5:34で青砥まで1往復した後、急行成田行となって京成線急行直通運用に入ります。夜まで成田行・東成田行を交互に繰り返します。
 東成田は、3月19日の成田空港新駅開業に伴い、成田空港から改称された駅です。それまで京成線乗り入れ最遠区間が成田までだったのが、いよいよ元成田空港の東成田まで延伸されました。

休日の17Tは8両編成で、西馬込5:34発青砥6:18着の運用からスタート、西馬込まで戻った後、西馬込ー成田・東成田間を急行列車で3往復。その後も京成線直通運用をこなし、最後は押上線・浅草線最終下り列車に充当され、浅草橋24:23着で長い一日が終わります。

(急行運用終了後の17T)
西馬込20:24→ 高砂21:08/22:18→西馬込23:05/23:11→青砥23:55/24:08→浅草橋24:23

Gotanda_3178_53k 《旧成田空港=東成田》
京成車の急行東成田行です。当時鋼製車は旧塗装で現行塗装が登場するのはもう少し後のことです。

京成にとっては、悲願の成田空港ターミナルビル乗り入れが実現しました。ターミナルビルまで連絡バスを要した旧成田空港駅は、この改正で「東成田」へ改称されました。何もない場所を表わす場所になってしまったような平凡な駅名になりました。

《まだまだ6両編成も存在》
都営車も一部8両編成化されましたが、京成車には、通勤特急・急行運用ともに6両編成がまだ存在していました。この53Kも6両編成、西馬込初発急行の51Kも6両編成でした。
 浅草線開業30周年を4ヶ月前に迎えたものの、依然として6両編成で足りる程度の輸送量とみることもできますし、よく言えば、乗客が多くない時間帯向けに柔軟な対応がとれるとみることもできます。

柔軟性を象徴するものとして、初発急行の51Kと画像の53Kを挙げることができます。どちらも途中で8両編成に移行するのです。
(1) 51Kの場合 西馬込6:02発初発急行として成田空港まで行くものの、折り返しは成田空港8:03発特急上野行(列車番号も8A22へ変更)となってしまい、51Kは別の8両編成が成田8:23発急行西馬込行として、都営線直通急行運用に充当されます。
(2) 53Kの場合 西馬込6:43発2番目の直通急行として東成田まで往復。西馬込11:03発急行高砂行として折り返し、高砂では、同じ列車番号の8両編成の急行東成田行に接続します。
 なかには、57Kのようにずっと6両編成の急行列車に充当される運用もありましたし、65Kのように午前9時台に8両編成から6両編成へ移行するものまでありました。(この統一感のなさが京成車の面白さです)

 現在では、都営車は全編成8両編成の5300形に統一、京成車も羽田空港直通運用が増加して、6両編成は少なくなっています。2006(平成18)年12月改正では、休日早朝からの西馬込ー泉岳寺間の折返し運用に、京成車6両編成が充当されています。

▼3178-3175は、1963年10月30日帝国車輌製造、1981年6月12日に1度目の塗装変更、1984年9-11月に更新・冷改、1993年8月20日に2度目の塗装変更、1998年10月1日に北総へリース(7074-7071)となり、2001年5月10日に返却・廃車。

Gotanda_5113_21t_2
《フラッシュ撮影の難しさ》
現場にできるだけご迷惑はかけない配慮のもと、停車中の最後部から撮影をしてみましたが、光の扱いに慣れていないこともあって、光が気になる写真となりました。急行成田行の画像も、出来はよくありません。

安易な撮影で済ませてしまう者としては、フラッシュ使用の訓練をするのではなく、高感度フィルム使用フラッシュなし手持ち撮影に挑むことで間に合わせてしまいます。
4年後の1995(平成7)年の5000形引退直前に、お隣高輪台駅で、最初で最後の高感度フィルムでの撮影をします。

▼5113-5116は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業向け5次車で登場(近畿車輛製造)、1994年8月17日廃車。

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