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2008年1月20日 (日)

【09】 白井

前回の北総線は、第2期線の大町を【03】で紹介しましたが、今回は最初に開業した区間にある白井を紹介します。撮影は駅ホームではなくて、小室寄りにある橋周辺で撮影したものです。
今回紹介する画像では、車両が小さく写っているために車両番号は判読できませんでした。

《ニュータウン内を、高規格道路と並走する光景》
大阪の千里ニュータウンを走る北大阪急行や、泉北ニュータウンを走る泉北高速鉄道(大阪府都市開発)で見られる道路の中央を高速鉄道が並走する光景は、未来の鉄道のような感覚があって憧れでした。千葉ニュータウン内の道路予定地のような空き地の中央を北総線電車が走る様子を見ては、千葉県でもいずれ実現するだろうと大いなる期待を持っていました。

ところが、期待に反して、開業して10年以上経過しても線路の両脇は空き地のまま、工事に着手する雰囲気すらありません。しかし、このような光景は逆に珍しいものであり、これまで都営5000形が走行していた区間でも見ることはできなかったものでした。そこで、一度は5000形が走る様子を撮っておこうと思ったのです。

Shiroi_5000_1994_2

西白井ー白井間の、国道464号線と並行して神崎川を渡る様子を撮ったものです。画像の奥へ向かう方向が白井・千葉NT方面です。 
 高規格道路の中央を走る鉄道の光景を意識して、周囲の様子もできるだけ取り入れて~なんて意図していますが、ニュータウンらしい建物が入っておらず、車両が小さく写っているだけの画像になっています。

橋といっても鉄橋ではなくて見た目にはコンクリートの側壁が追加されているだけのようなものです。車両の前面くらいは側壁にかからない位置で撮っておけばよかったです。

 国道464号線には信号が少ないこともあって、走行する車の速度も速め、通過台数が多くなくても電車にかかっては面白くないので、列車を待つ間は車のことがずっと気になっていました。路面電車であれば大抵は1-2両の長さで済みますが、ここでは6両編成100mを越す長さです。列車の運転間隔20分と長いこともあり、被りの発生は避けたかったです。

 この画像では小さく写っている接近中の車も、ファインダー越しには、もっと接近しているように感じられました。

《撮影位置を改めて紹介》
撮影位置を勘違いして公開してしまいましたので、改めて道路地図を参照しながら書きます。ここは白井市根という住所で、背景に写る場所は地図ではニュータウン未開発地です。そして、背景で小さく線路を横断しているのが千葉県道189号千葉ニュータウン北環状線の陸橋と思われます。(線路と直交しているように見えるので、北総線を斜めに横断する木下街道の白井大橋ではないと思います)。

画像手前は国道464号線の西白井方向車線です。この画像のさらに右方向には、日本中央競馬会競馬学校や京葉瓦斯白井供給所のガスタンクがあります。

電車のバックの背の高い建造物は、千葉県水道局の白井高架水槽です。(間違っていないと思います‥)
白井高架水槽に関しては、ブログ「癸卯雑識」さんの2008年1月掲載の白井に関する記事を参照しました。ありがとうございました。
癸卯雑識」は、給水塔系サイト「 ALL ALONG THE WATERTOWER」の管理人K.T.さんが開設しているブログです。

Shiroi_3200n_1994

《京成車も日中に北総線走行》
撮影をしたのは1994(平成6)年の夏、羽田駅乗り入れが6両編成限定の頃でしたので、日中に5000形・京成車・京急車の6両編成が走り、逆に6両編成を用意していない北総・公団車や都営5300形を見る機会が少ない時期でした。

画像の京成車は全車両が現行塗装へ変更済みです。ファイアオレンジ主体の前塗装に比べて、爽やかさも感じられて、この光景にも溶け込んでいる印象です。車両番号は確認できませんでしたが、パンタグラフ2基搭載車が含まれていますので、3200形の6両固定編成です。

3200形のうち、冷房改造で補助電源装置をSIVとした車両(先頭車)は、離線防止でパンタ2基搭載(SIV搭載先頭車の連結相手)となりました。反面パンタ撤去車(2台パンタ車の隣)もあるので、6両で3基のパンタを搭載し、うち1両が2基搭載車でした。3300形は3200形よりも早期に冷房改造が実施されたので、2基パンタ装備車はいません。

3200形は、4両固定編成で登場していて、1985年~1988年の更新時に3221~3280の60両で6両固定編成化が実施されました。
(稲葉克彦、「現有車両プロフィール2007」 モハ3200形、『鉄道ピクトリアル』No.787 2007年3月臨時増刊号 【特集】京成電鉄 P216)

Shiroi_3200r_1994 《道路と線路の間の空き地》
白井ー小室間に移動して撮影しました。道路と並行して二重川(ふたえがわ)を渡る様子を撮ったもので、電車は千葉ニュータウン中央行の京成車です。

こちらも道路地図を参照しながら書きます。橋で超える二重川が白井市と船橋市の境界になっています(小室駅は船橋市内の駅です)。川向こうの電車の奥の緑地が小室4号緑地になります。背景の道路橋は国道424号線の東方向車線に架かる法目(ほうめ)北大橋で、次の画像の右手に写っているのが西方向車線の小室南橋です。
 
バックの送電線が物々しい雰囲気です。この画像では見えませんが、右方向(南東の方角)に、東京電力新京葉変電所があります。

この画像で道路(国道464号線)と北総線の間隔が掴めます。高速道路が余裕で設置できるだけの空き地が線路の両側に伸びています。夏なので草の伸び方も元気です。

《塗装変更進行中》
この編成は塗装変更未施行の京成車です。前の画像と同じ日の撮影で、当時の京成車は新旧塗装の混在時期、なかには固定編成中の一部の車両だけ塗装変更が行われた混色編成もありました。そして、この編成もパンタ2基搭載車が含まれているので3200形です。

車両の横の電線が目障りなのですが、うまく処理ができませんでした。

Shiroi_1000_1994

《京急電車が北総線を快走》
このときに撮りたかった車両です。京急(旧)1000形、京急の主力車両としての地位はまだ不変で、浅草線内でも普通に走っていた頃でした。

北総線の高砂までの延伸開業から、公団線も含めた5者直通運転が開始されたものの、京急車だけ使用されませんでした。ところが、京急空港線へ6両編成限定での直通運転開始時から、京急車が羽田~千葉NT中央の列車に用いられるようになったのです。

京急車が北総線内を走るのは、京急空港線6両編成限定の時期だけになるかもしれないと予想したことも、撮りたかった理由です。

実際空港線の6両編成制限が解除された後に実施された1995(平成7)年4月のダイヤ改正で、京急車の北総線乗り入れは一旦消滅しました。予想通りと思ったものの、3ヵ月後には京急車の北総・公団線乗り入れが復活、その後も継続して京急車が北総線まで乗り入れています。ただ、京急車の6両編成が北総線内で使用されることはないでしょうから、この光景も今では思い出になっています。

車両番号は不明ですが、分散式冷房装置搭載車です。

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コメント

こんばんは。
羽田駅(現在の天空橋)が開業した93年は空港線各駅のホームが8連対応でなかったことから羽田~千葉NT中央間の直通急行は6連がメインでした。8連運用と違い、旧型車中心だったのが魅力だったと思います。

京成車の北総線運用は00年7月に印旛日本医大駅が開業した際に撤退、一昨年12月の改正時に平日1往復のみ運用が復活しました。数年後に印旛日本医大から先で成田高速鉄道が開業しますが、その際にはスカイライナーも北総線を走るようになるので、京成車を見る機会は増えることが予想されます。いつだったか忘れましたが、ダイヤ乱れで3000系6連が北総線に入線しました。北総線に6連が走ったのは10数年ぶりの出来事だったそうです。

京急車は95年4月の印西牧の原駅開業で北総線運用は撤退したものの、3ヶ月後の修正で復活したというエピソードがありましたね。現在京急車は8連運用ですが、画像を見る限り6連運用が再び登場することは考えにくいでしょう。この時期の直通運用の6連は旧1000が中心で、1500系は少数派でした。現在京急車の6連直通運用が見れるのは大晦日~元旦の終夜運転(高砂~横浜間)のみとなり、時代の流れを感じずにいられません。

4直は今も昔も鉄道マニアには楽しいものですが、特に車両・運用面は北総線が高砂まで開業した90年代初頭のほうが結構バラエティに富んでいたかもしれません。画像を見て改めてそう思った次第です。

A80&481さん、コメントありがとうございます。

羽田6連運転の際に、面白く感じられたのは、1990年までであれば、各者とも6連を準備するのに苦労はなかったはずなのに、1993年の段階では、各者とも8両固定編成で揃えた新車や増結編成を使うことができなかったことです。

この状況が長期に渡れば6両固定編成の新車も導入されたのでしょうが、短期であることが予測されたことで、無理して6両固定編成の新車を揃えることなく、従来からの保有車でまかないました。京成では3500・3600のステンレスカー6連が充当されなかったのも、旧型車中心の印象を持たせるのに貢献していました。

京成車や京急車の北総線乗り入れの動向を書き留めていただき、ありがとうございます。

地下鉄路線の直通運転というのは、他社の事例をみますと、使用系列や運転区間が単調な場合が多いです。
日比谷線の場合は、東武・東急とも18m車ということもありますが、見た目には各社とも車両は1種類です。新宿線に乗り入れる京王も、直通運転開始後に7000系列・8000系列が登場したのに、新宿線へ乗り入れるのは、依然として6000系直通仕様車限定でした。

他の路線との比較になりますが、1990年代の浅草線に乗り入れた車両系列や運転区間の多彩さは、特別なことだったといってもいいでしょう。

それだけに、その時々の記録が大事になります。現状もいつまで続くかわかりません。都営車や京急車が上野・日暮里まで営業運転した段階で、これ以上のサプライズはないだろうと思っているのですが、どうなりますでしょうか。

私が一度目にしたかった光景を見ることが出来て、とてもうれしいです。本当にありがとうございます。

1960年の設計の、「高度成長時代丸出し」車輛が、21世紀を控えた新しい街並みを抜けて、高速で走ってゆく様子…これはこれはたまりません。
浅草線は千葉方面~羽田間を直通運転することは、早いうちに決まっていたはずですから、5000形も念願かなって、さぞうれしかったことでしょう。

私は先日、ネットオークションで、念願だった1993年4月改正の京急運行図表を手に入れました。
ゆっくり読み解いていこうと思いますが、今日の羽田乗り入れダイヤに比べれば、まったくさっぱりしています。
でも、イーチコさんの写真の車輛が、走っていたのだと思うと、ダイヤ見ながら、ひとり、ニヤついてしまいます。あぶないあぶない…。

しろちゃんさん、コメントありがとうございます。

1980年代を通して、新京成の吊り掛け車がここを疾走していたことも特筆モノだと思いますが、この区間を5000形を始め、京成赤電や京急1000形も疾走する様子を現地で見ることができたのはよき思い出です。車両が小さい画像ばかりですが、本人はこれで満足しています、でもブログに掲載してみると、思った以上に小さく写った画像になりました。

今でこそ、塗装を変えた京成赤電車両がリースという形で北総線を長年走っていますが、撮影当時はそのような展開も予想できず、日中に京成車や京急車が見られるのは今の時期だけかも‥と思いながら撮りました。

北総線の運賃の高さ故に、訪問回数は2回だけ。趣味活動も5000形だけではありませんでしたので、5000形のための集中投資ができなかったのです。今でも、当時撮影していた方が公開してくださるものと期待しています。
 
羽田乗り入れ初日の京成電車は3050形でした。私は途中まで乗車しただけで撮影まではしていないのですが、おめでたい初日に最古参車を走らせる、京成の粋なところを記録した方は大勢いらっしゃいます。このときの3050形、先頭車の乗務員室直後は、“同業者”で一杯でした。(自分も途中まで乗車していたわけですけどね)

1993年4月改正で注目なのは、北総線乗り入れ列車の8両編成と6両編成の車両交換です。平日では6両編成が往復している間、8両編成がどのように過ごしているのかが要チェックです。

私は、市販の時刻表だけで辿っていますので、車両交換を行った駅や8両編成が日中どうしていたのか、掴めていないところがあります。

運行図表で楽しんでください。

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