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2008年1月27日 (日)

【09訂正】 白井

お知らせいたします。
1月20日に公開しました【09】 白井にて、4枚中はじめの2枚の撮影位置を勘違いして記載しました、橋を渡る様子の画像です。この2枚は、後半の2枚とは別の位置の撮影で、白井ー小室間の二重川を渡る位置ではなくて、西白井ー白井間の神崎川を渡るところでした。

本文も訂正したものを公開しています。失礼いたしました。

画像を見比べればすぐにわかることでしたが、送電線の位置がはじめの2枚と次の2枚とで全然異なるのに、同じ橋を撮っていたと解釈するとは情けないです。

画像の背景に写っている太い煙突のような高層建築物を、公開前まではニュータウン内の換気塔か煙突と思う程度でいました。今になって、送電線の位置関係が気になり道路地図を見直してみると、西白井ー白井間にも橋があることや、北総線の北側に記載されている千葉県水道局白井高架水槽なる施設に注目しました。検索してみたら、本文で紹介したブログ「癸卯雑識」さんの今月公開したばかりの白井高架水槽の画像を拝見、見比べてみて同じものだろうと判断したのです。

これで、現地に長年訪問していないままブログを作成していることが明らかになってしまいましたね。ご覧になっていた方で気になっていた方もいらっしゃると思います。今後は気をつけます。

2008年1月20日 (日)

【09】 白井

前回の北総線は、第2期線の大町を【03】で紹介しましたが、今回は最初に開業した区間にある白井を紹介します。撮影は駅ホームではなくて、小室寄りにある橋周辺で撮影したものです。
今回紹介する画像では、車両が小さく写っているために車両番号は判読できませんでした。

《ニュータウン内を、高規格道路と並走する光景》
大阪の千里ニュータウンを走る北大阪急行や、泉北ニュータウンを走る泉北高速鉄道(大阪府都市開発)で見られる道路の中央を高速鉄道が並走する光景は、未来の鉄道のような感覚があって憧れでした。千葉ニュータウン内の道路予定地のような空き地の中央を北総線電車が走る様子を見ては、千葉県でもいずれ実現するだろうと大いなる期待を持っていました。

ところが、期待に反して、開業して10年以上経過しても線路の両脇は空き地のまま、工事に着手する雰囲気すらありません。しかし、このような光景は逆に珍しいものであり、これまで都営5000形が走行していた区間でも見ることはできなかったものでした。そこで、一度は5000形が走る様子を撮っておこうと思ったのです。

Shiroi_5000_1994_2

西白井ー白井間の、国道464号線と並行して神崎川を渡る様子を撮ったものです。画像の奥へ向かう方向が白井・千葉NT方面です。 
 高規格道路の中央を走る鉄道の光景を意識して、周囲の様子もできるだけ取り入れて~なんて意図していますが、ニュータウンらしい建物が入っておらず、車両が小さく写っているだけの画像になっています。

橋といっても鉄橋ではなくて見た目にはコンクリートの側壁が追加されているだけのようなものです。車両の前面くらいは側壁にかからない位置で撮っておけばよかったです。

 国道464号線には信号が少ないこともあって、走行する車の速度も速め、通過台数が多くなくても電車にかかっては面白くないので、列車を待つ間は車のことがずっと気になっていました。路面電車であれば大抵は1-2両の長さで済みますが、ここでは6両編成100mを越す長さです。列車の運転間隔20分と長いこともあり、被りの発生は避けたかったです。

 この画像では小さく写っている接近中の車も、ファインダー越しには、もっと接近しているように感じられました。

《撮影位置を改めて紹介》
撮影位置を勘違いして公開してしまいましたので、改めて道路地図を参照しながら書きます。ここは白井市根という住所で、背景に写る場所は地図ではニュータウン未開発地です。そして、背景で小さく線路を横断しているのが千葉県道189号千葉ニュータウン北環状線の陸橋と思われます。(線路と直交しているように見えるので、北総線を斜めに横断する木下街道の白井大橋ではないと思います)。

画像手前は国道464号線の西白井方向車線です。この画像のさらに右方向には、日本中央競馬会競馬学校や京葉瓦斯白井供給所のガスタンクがあります。

電車のバックの背の高い建造物は、千葉県水道局の白井高架水槽です。(間違っていないと思います‥)
白井高架水槽に関しては、ブログ「癸卯雑識」さんの2008年1月掲載の白井に関する記事を参照しました。ありがとうございました。
癸卯雑識」は、給水塔系サイト「 ALL ALONG THE WATERTOWER」の管理人K.T.さんが開設しているブログです。

Shiroi_3200n_1994

《京成車も日中に北総線走行》
撮影をしたのは1994(平成6)年の夏、羽田駅乗り入れが6両編成限定の頃でしたので、日中に5000形・京成車・京急車の6両編成が走り、逆に6両編成を用意していない北総・公団車や都営5300形を見る機会が少ない時期でした。

画像の京成車は全車両が現行塗装へ変更済みです。ファイアオレンジ主体の前塗装に比べて、爽やかさも感じられて、この光景にも溶け込んでいる印象です。車両番号は確認できませんでしたが、パンタグラフ2基搭載車が含まれていますので、3200形の6両固定編成です。

3200形のうち、冷房改造で補助電源装置をSIVとした車両(先頭車)は、離線防止でパンタ2基搭載(SIV搭載先頭車の連結相手)となりました。反面パンタ撤去車(2台パンタ車の隣)もあるので、6両で3基のパンタを搭載し、うち1両が2基搭載車でした。3300形は3200形よりも早期に冷房改造が実施されたので、2基パンタ装備車はいません。

3200形は、4両固定編成で登場していて、1985年~1988年の更新時に3221~3280の60両で6両固定編成化が実施されました。
(稲葉克彦、「現有車両プロフィール2007」 モハ3200形、『鉄道ピクトリアル』No.787 2007年3月臨時増刊号 【特集】京成電鉄 P216)

Shiroi_3200r_1994 《道路と線路の間の空き地》
白井ー小室間に移動して撮影しました。道路と並行して二重川(ふたえがわ)を渡る様子を撮ったもので、電車は千葉ニュータウン中央行の京成車です。

こちらも道路地図を参照しながら書きます。橋で超える二重川が白井市と船橋市の境界になっています(小室駅は船橋市内の駅です)。川向こうの電車の奥の緑地が小室4号緑地になります。背景の道路橋は国道424号線の東方向車線に架かる法目(ほうめ)北大橋で、次の画像の右手に写っているのが西方向車線の小室南橋です。
 
バックの送電線が物々しい雰囲気です。この画像では見えませんが、右方向(南東の方角)に、東京電力新京葉変電所があります。

この画像で道路(国道464号線)と北総線の間隔が掴めます。高速道路が余裕で設置できるだけの空き地が線路の両側に伸びています。夏なので草の伸び方も元気です。

《塗装変更進行中》
この編成は塗装変更未施行の京成車です。前の画像と同じ日の撮影で、当時の京成車は新旧塗装の混在時期、なかには固定編成中の一部の車両だけ塗装変更が行われた混色編成もありました。そして、この編成もパンタ2基搭載車が含まれているので3200形です。

車両の横の電線が目障りなのですが、うまく処理ができませんでした。

Shiroi_1000_1994

《京急電車が北総線を快走》
このときに撮りたかった車両です。京急(旧)1000形、京急の主力車両としての地位はまだ不変で、浅草線内でも普通に走っていた頃でした。

北総線の高砂までの延伸開業から、公団線も含めた5者直通運転が開始されたものの、京急車だけ使用されませんでした。ところが、京急空港線へ6両編成限定での直通運転開始時から、京急車が羽田~千葉NT中央の列車に用いられるようになったのです。

京急車が北総線内を走るのは、京急空港線6両編成限定の時期だけになるかもしれないと予想したことも、撮りたかった理由です。

実際空港線の6両編成制限が解除された後に実施された1995(平成7)年4月のダイヤ改正で、京急車の北総線乗り入れは一旦消滅しました。予想通りと思ったものの、3ヵ月後には京急車の北総・公団線乗り入れが復活、その後も継続して京急車が北総線まで乗り入れています。ただ、京急車の6両編成が北総線内で使用されることはないでしょうから、この光景も今では思い出になっています。

車両番号は不明ですが、分散式冷房装置搭載車です。

【09補足】 白井

《羽田~千葉NT間 6両編成運転時代を紹介》
 先月、しろちゃんさんより戴いたコメントに、「いま気になっているのは、1993年4月からしばらく、6連で羽田~千葉NT往復していた頃です」とありました。恥ずかしながら、しろちゃんさんのコメントを拝見したときに、その時期の画像をメインに据えた記事をまだ作成していないことに気がつきました。
 そこで、今回の白井では、羽田~千葉NTを6連で運転していた時期の都営・京成・京急の各車両の様子を紹介してみることにしました。

もともと車両を小さく撮る傾向がある中で、とりわけ車両が小さく写っている画像ばかりで構成しています。周囲の景色とのセットでご覧いただければと思います。
 掲載画像選択のきっかけを作っていただいたしろちゃんさんに御礼申し上げます。ありがとうございました。

実はそれまでは、公開する季節に合わせて、冬に白井で撮影した画像を紹介する予定でいました。
Shiroi_23t_5081

最後尾が架線柱に重なってしまった画像ですが、8両編成の魅力を捉えたと自身は満足しています。
 冬に撮影した画像は、別の機会に紹介してみます。

《西白井で撮影した画像のほうが気に入っています》
1994年夏に出かけたときは、西白井駅よりさらに西側の地点から小室まで、徒歩で移動しながらの撮影でした。線路を越す陸橋が少ない場所を選びながらの撮影です。私は西白井で撮った画像のほうが気に入っています。

今回は数少ない5200形を写した画像を紹介します。ここも別の機会に改めて紹介してみます。
Nisishiroi_5207 最後尾車の車両番号が5207と読めました。8両編成への編成替えの際に余剰となり除籍となった車両です。

▼5200番台とも呼ばれたステンレス車両は、5000形第6次車として、5201-5212が6連固定2本で、1976(昭和51)年3月に製造(アルナ工機製造)、4月1日竣工
冷房化は、5201-5206が1989(平成元)年10月4日。5207-5212が1988(昭和63)年12月22日に実施。

5207 5208 5211 5212の4両は、1996(平成8)年9月3日廃車。
5201-5206と5209・5210で、1996(平成8)年12月27日より8両固定編成で営業運転開始

2000(平成12)年8月14日に、形式を5000形から5200形に変更。2006(平成18)年11月にさよなら運転実施後、全車引退。
(岸上明彦、「私鉄車両めぐり〔166〕 東京都営地下鉄」 浅草線、『鉄道ピクトリアル』No.704 2001年7月臨時増刊号 【特集】東京都営地下鉄 P157)


《千葉ニュータウン内の線路両側の空き地》
記事本文では「空き地」と記述して、○○予定地とは明記しませんでした。これは、未利用地に関する情報の整理や理解をするのが間に合わなかったからです。インターネットの検索や、以前に目を通した鉄道雑誌の記述などから、この未利用地部分には、北千葉道路・千葉県営鉄道・成田新幹線の予定地が含まれていることは掴みました。白井や西白井の空き地に、成田新幹線は含まれていないです。

ただ、北千葉道路の構想自体を把握していません。現在北総線に並走する記事本文でも写っている道路は、道路地図では国道474号線になっていますが、Wikipedia「北千葉道路」によれば、県道だったのを1993年に国道指定にしたとの記述がありました。北千葉道路とはいったいどのような完成図を描いて計画していたのか、現在の姿が目指す方向だったのか、もっとよく知りたいのです。

理解するのが間に合わなかったので、言葉を濁した形の表現をとりました。文献読みなどの確認作業を実行するのに時間がかかると思いますが、北総線開業当時から用途が気になっていた土地です。5000形の動向には直接関係はありませんが、長年の宿題として、是非把握してみたいです。

2008年1月17日 (木)

【リンク記念】 営団3000系画像

《東急東横線の8000系さよなら運転を見ました》
1月13日(日)に運転された8000系さよなら列車を多摩川駅で見送りました。

 最後に残った東横線8000系の8017F、外観はいわゆる歌舞伎塗装と呼ばれた更新後の姿でしたが、この日の運転のために先頭車前面の行先表示がLEDから字幕に戻され、両先頭車に別々のデザインのヘッドマークが装着されました。そして、さよなら運転列車は、元住吉で行先を変更する形の特急列車を臨時設定して実施され、単なる最後の運転にとどめない、趣向が凝らされたさよなら運転でした。

丁度運転時間帯に重なっていたこともあり、多摩川駅ホームにて、この日1度だけ運転された元住吉発渋谷行特急列車を見送りました。列車そのものは元町・中華街始発元住吉行特急として運転後、元住吉で後続の特急列車に追い越される間に行先変更をして、あらためて渋谷行として運転される時刻設定とされました。字幕表示へ戻ったことに加えて、通常は見られない「特急 元住吉」表示にも注目が集まったことでしょう。

ブログ「元総会長の『ほのぼのblog』」の作者プレ坊さんは、元住吉で8000系列車を追い越す特急渋谷行に乗り、自由が丘へ移動されていました。私が多摩川駅ホームで見ていた横浜高速車使用の特急列車に、プレ坊さんが乗車していたということなのです。ニアミスをしていました。

《営団日比谷線の3000系画像を紹介します》
私がプレ坊さんのブログへコメント投稿をしたことをきっかけにして、当ブログのリンクを設置させていただきました。ありがとうございます。1980年代の東横線の思い出話をはじめ、居心地のよいブログを拝見するのが楽しいです。
 リンク設定を機会に、1994年まで現役だった営団日比谷線用の3000系画像を紹介させていただきます。「8000系さよなら運転」の撮影日記に感化しましたので、3000系の引退直前に運転された装飾電車の画像を選んでみました。

ブログを開設した当初から、都営5000形とほぼ同期の営団3000系をいずれ取り上げる予定にしていましたので、構想していた時期よりも早い公開にはなるものの、この機会を利用してみました。

Nakameguro_3055_2 

1994(平成6)年7月20日、中目黒駅ホームの恵比寿寄りから撮影したものです。

広くないホームに撮影者がいっぱいでした。そのためホーム先端に立つことは適わず、先端手前の位置からの撮影になりました。
 画像の下に見える(8)の停止位置目標からみて、北千住方向の電車が入線していれば、うまく撮ることはできなかったでしょう。

3055号車先頭の8両編成中目黒止まり。

《“マッコウクジラ”装飾電車》

Nakameguro_3056

中目黒駅停車中に撮影した、最後尾の3056号車側面部です。“マッコウクジラ”装飾はこのようになっていました。尾ひれが切れていますが、だいたいの輪郭は掴めると思います。

ステンレスシルバー一筋の3000系でしたので、色の入った車体を見られたことが喜びでした。

車体に「祝・日比谷線全通30周年」とあるように、1964年に全通してから30年が経過しました。都営浅草線よりも4年も早い全通です。しかしながら、普通列車主体の乗り入れ形態は40年が経過した現在でも変わりありません。

Sengendai_3056_b

中目黒で撮影後は先行する列車で移動して、東武伊勢崎線西新井駅で到着する様子を撮影後、準急列車でせんげん台駅へ先回りしました。

上記画像は、せんげん台駅を出発するところ、“マッコウクジラ”を反対側からも捉えてみました。またもや尾ひれが切れてしまいました。

《3000系を最後に撮った駅》
Segendai_3056_a

せんげん台駅停車中の様子です。文字数の多い「東武動物公園」の行先表示を撮影できました。

装飾は両先頭車のみで、中間車は外観上の変化は見られません。先頭は3056号車、貫通扉に貼付されたヘッドマークはマッコウクジラをデザインしたものでした。

中目黒・北千住・西新井と撮影目的の方が多く、必ずしもよいポジションで撮影できませんでした。そこで、せんげん台ならば~との想いで向かったところ、誰もいないくらいでひと安心。あとは、対向列車が到着しないことを願うばかりでした。対向列車の被りもなく、落ち着いて希望通りのアングルで撮ることができて安心しました。

《1994年初頭でもトップナンバーが健在》
Denenchofu_3001

地下駅工事中の田園調布駅で撮影した3001号車です。3000系が全車引退する1994年に入っても、まだ3001号車は健在でした。

営団3000系は、都営5000形よりも1年早く全車引退しました。嬉しいことに、長野電鉄へ譲渡された車両は営団時代からの変化も小さいまま今なお現役です。

昨年(2007年)には、画像のトップナンバー3001号車を含めた2両が東京メトロへ里帰りしてきました。
12月15日に綾瀬車両基地で実施された地下鉄開通80周年イベント「見学会&車両撮影会」で引退前の姿に整備されて展示されました。

3001・3002号車は、1961(昭和36)年3月6日竣工、1994(平成6)年7月1日廃車除却。
(『鉄道ピクトリアル』No.759 2005年3月臨時増刊号 【特集】東京地下鉄 P233 「東京地下鉄車両履歴表」参照)

当時の田園調布駅は、東横線と目蒲線の複線が隣り合う線路別複々線の配線になっていました。

《菊名での3000系》

Kikuna_3020

最後の紹介画像になります。この画像のみ1988(昭和63)年8月の撮影です。

菊名駅ホームに入線する3020号車を先頭にした3000系です。長らく日吉どまりだったのが朝夕を中心に菊名まで乗り入れ先が延伸されました。急行列車ならあと1駅で横浜の位置です。

隣のホームの軽量ステンレスカー試作車が目に留まり、3000系の位置が思ったよりも手前で撮影した形になりました。

当時菊名駅は20m車8両編成の渋谷寄1両は扉締切扱いで、急行列車を待避する各停が停車しますと、日中でも開かずの踏切と化していました。(後に踏切は廃止されてます)

◇ブログ「元総会長の『ほのぼのblog』」
プレ坊さん、よろしくお願いします。

2008年1月16日 (水)

【blog紹介】 リンク追加&ブログ案内

当ブログをご覧いただきましてありがとうございます。
リンクも少しづつ増えてきています。本日新たに2つのブログのリンクを設置しました。このブログの紹介とともに、以前からリンクさせていただいているブログの現況をご案内します。

【新規リンク】
◇あらかわ交通ノート Arakawa Traffic Note

 本日新たに相互リンクで設置いたしました、特急あらかわさんのブログです。相互リンクのお申し出をしていただきまして、ありがとうございます。
 京成線に関する造詣が深く、首都圏の鉄道事情や地名に関する考察に注目しています。先日のコメント返信でも触れましたが、以前から京成線の現況を把握するためにお邪魔しておりました。

【新規リンク】
◇元総会長の『ほのぼのblog』
 本日新たにリンクを設置いたしました、プレ坊さんのブログです。一足早くリンクを設置していただきましてありがとうございました。
 小学生の頃に撮影された東急東横線の画像が掲載されていますが、本格的に鉄道模型制作・鉄道趣味活動を始めたのは最近のことだそうです。今年の1月5日に完結した東急初代7000系製作記を拝見したときは、プレ坊さんはベテランモデラーと思っていたのですが、ブログを読み進めてみたら違っていたので驚いています。トレジャータウンをはじめとする御馴染みのエッチングパーツも用いて、リアルさを追求しています。

 1月13日(日)は、東急東横線でさよなら運転を行った8000系特急列車の撮影にお出かけになり、思い出の詰まった車両の最後の雄姿を記録されていました。東急エリアで育った者としてプレ坊さんの8000系への想いに共感しています。 
 
リンク設置記念という意味合いも込めて、都営浅草線と乗入れ事業者をテーマとしたブログではありますが、別記事で東急東横線に関連する画像を紹介します

先月12月14日に相互リンクを設置いたしました、A80&481さんのブログです。京急や京成の話題も取り上げています。mixiでもお世話になっています。

◇モボ105(にゃんこ)のブログ
昨年末は京都の嵐電を、年始からは、元旦に九州までお出かけした際に撮影した画像を紹介しています。本日1月16日は、京都市営地下鉄東西線の二条~太秦天神川間の延伸日です。

◇デハ712のデジカメ日記2007
京急車両を中心に、首都圏の鉄道車両の画像を多数紹介しているデハ712さんのブログです。昨年の10月下旬以降は更新を休止している状況です。更新は再開する予定と伺っておりますので、更新が再開しましたら、こちらでもお知らせさせていただきます。

東急バス趣味でお世話になっている渋72さんのブログです。今回は、HPに併設されている別のブログを紹介します。

年末より、更新が活発に行われています。東急バスの1980年代の躍進を象徴する3扉車と貸切兼用車(ロマンス車)の画像と、1970年代に撮影された貴重な画像がたくさん掲載されています。東急バスファンに限らず路線バスファンに楽しめるものと思います。1972年~1985年頃まで採用されていた東急バス独自の系統板を装備した姿も堪能できます。

バス後ろの方向幕が未設置のバスの系統板枠が設置された位置が、車両により様々なことを観察するのが楽しみです。前面でも緑ナンバーの位置を移動してまで系統板枠を設置した、三菱製のバスもありました。

2008年1月 3日 (木)

【参考に~補足】 5000形写真掲載本

《交友社『私鉄電車のアルバム 2』》
5000形の側面を、正面に近い角度で撮影した写真が掲載されている書籍があったことを、先ほどの記事の投稿後に思い出しました。

30年以上前の1976年に、雑誌『鉄道ファン』を発行する交友社が発行した『私鉄電車のアルバム 2』に掲載されています。白黒写真ですが、私が紹介した不鮮明な画像よりかは参考資料になります。

『鉄道ファン』裏表紙の広告を紹介します。
11_16_24bc
『鉄道ファン』1976年10月号の裏表紙に掲載された『私鉄電車のアルバム』第2巻(愛蔵本)の発売告知広告です。
書店では『2A』と『2B』という分冊(普及版)を見かけました。第2巻では裏表紙になっている都営5000形のイラストのある面が、普及版『2B』の表紙になっています。

内容は、いわゆる形式写真主体の構成で、文章は簡潔、側面を可能な限り正面になるようなアングルで斜めに車両を撮った写真を掲載しています。

現在の『鉄道ファン』でも在庫のお知らせがありますが、第2巻は絶版になっています。普及版でも『鉄道ファン』の定価が700円以下の時代に、定価2000円弱ですので、古書店であったとしても高値が就いている可能性が高いです。

続刊は予定通り発刊されましたが、『4』以降が出ていません。1980年代以降も、年刊か隔年刊の頻度で続編を発行してもよかったのではと思っていました。

※雑誌裏表紙をスキャナーで取り込んだ画像を掲載しています。このブログに掲載することに問題がある場合は画像を削除します。

【参考になれば】 5000形車両画像

私は鉄道模型の制作をしないものですから、模型の資料目的の視点で車両を撮ることがありません。最近になって、模型資料のための写真撮影がどのようなものなのかを知った程度です。

都営5000形で検索されている方の中には、キット組み立て・模型制作のために、このブログを訪れた方もいらっしゃると思います。地味な車両だけに、鉄道模型雑誌において、参考になるようなアングルの写真が掲載されたことはなかったと記憶しています。先月(平成19年12月)発売の雑誌『とれいん』誌上の「MODELERS FILE」で、 東京都交通局 10-300形 +10-300R形+10-000形が取り上げられています。5000形にも、このような企画記事が掲載されていたら是非見てみたいです。

参考になるかどうかはご覧いただく方におまかせします。連結面やら扉を大写しにした画像はありませんが、資料になるかも画像を紹介します。特記以外は5000形現役最後の日、撮影用に公開された馬込検車場で撮影したものです。気持ち、床下機器もわかる程度に明るく補正しています。ですので、色は参考になさらないでください。

台車の画像は、検索したところ、近畿車輛のシュリーレン台車の画像を紹介しているHPにありましたので、書き留めておきます。

01_01_7bc この画像は、検車場内での撮影後、敷地外に出る際に撮影したと記憶しています。

最期の時期は稼動機会も少なかった割には、予想以上に多くの車両が留置されていました。

01_01_4bch パンタ装備中間電動車です。
押上→西馬込方向で左側側面になります。

01_01_6bc パンタ未装備の制御電動車です。
押上→西馬込方向で左側側面になります。

続きを読む "【参考になれば】 5000形車両画像" »

2008年1月 1日 (火)

【ごあいさつ】 本年もよろしくお願いします。 

新年明けましておめでとうございます。

昨年7月、現役引退から12年という節目でスタートした都営5000形をテーマにしたブログです。実際は、節目だというよりも、ブログにまとめる気になったから始めたようなものですが、開設してから半年が経過しました。

HPやブログの経験がなかったこともあり、はじめの2ヶ月は更新しても検索エンジンで紹介されない設定にして、体裁を整えることを優先していました。
 9月の更新時より検索に反映する設定にしてみたところ、急速にアクセス数が増加しました。それも「浅草線」や「京成」・「京急」の検索だけでなく、都営5000形をキーワードに検索し訪問してくださる方が思った以上に多いのです。都営5000形を気にしているのは少数だろうと思い込んでいたのに、よい方向に予測が外れて嬉しく感じています。

これまで交流のなかった方からもコメントやメールをいただきました。ありがとうございます。当時の思い出話を拝見したり、当時まだ年少で撮影できなかったので嬉しいです、とのコメントもいただきました。私よりも世代の若い方にもご覧いただけているのが励みになっています。

先日予告させていただきましたが、1月更新より先の期間、しばらく京成のいわゆる“赤電”車両の紹介を連続して行い、本編の5000形の方は少しお休みさせていただきます。お休みの間に、概説の記事を少し出してみようと思っています。

TOP記事は本年も2ヶ月毎の更新とさせていただきます。
本年もよろしくお願いします。 

(当記事は1月16日までTOP頁に掲載していました)

画像は、京成大和田駅ホームで撮影した5096号車の側面です。京成大和田の項で紹介しなかった画像です。少し画像を明るめに補正しましたが、床下機器は暗くて判別しにくいですね。
199503_oowada_5096_2

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