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2008年2月29日 (金)

【5300形画像】 まずは紹介します

数枚の画像データを取り込んでから編集し直しますが、現時点で初公開画像となるものを紹介します。

<1>京急富岡
急行 新逗子発神奈川新町行です。今となっては見ることのできない急行列車の行先表示となりましたし、特急以上の優等列車しか充当されない現状では、富岡停車中の姿も見ることができません。ホームの背景に山が見えるので、地下鉄車両の組み合わせを楽しむ意図でこの場所を選びました。
撮影:1994年 5311編成 「43T急行 新町」 
1994tomioka_5311

<2>八広
現在のホームへの工事を始めた頃です。この画像を撮って、撮影向きの位置ではないと感じました。当時は普通に見ることができた「千葉ニュータウン中央」の行先表示です。
既に「いちょうマーク」の位置が前面扉上へ移動しています。
撮影:1995年 5302編成 「31T 普通 千葉ニュータウン中央」

02_23_23bc_2

<3>青砥
こちらも「千葉ニュータウン中央」行です。もう少しバックの景色にメリハリのつくときに撮影したいと思いつつ実現していません。

この記事では、唯一のロングスカート装備の後期型です。
撮影:1995年 5320編成 「31T 普通 千葉ニュータウン中央」
02_23_26bc

<4>国府台
意識すると気がつくものでして、この画像では「いちょうマーク」が前面窓ガラス上に貼付されています。そして乗務員室扉と客用扉の間に「いちょうマーク」がないのも確認できます。

「急行」円盤装着姿です。一時期は休日の急行列車運転も増加してきましたが、ここでも急行列車として見ることはできなくなりました。当時は珍しいとは思っていない光景でも、年月の経過で二度と見ることができないかもという光景になってしまいます。ネット上で過去に撮影した画像を紹介するようになってから感じるようになりました。

撮影:1992年 5303編成 「07T 急行 西馬込」

02_23_24bc_2

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コメント

イーチコさんご無沙汰しております。。。
先日は銀河の記事にコメントありがとうございました
プレ坊のどうしようもない文章力で書いた記事で一生懸命に想像力を働かせていただけた事を嬉しく思いますwww
自分は今年のあちこちのダイヤ改正と言うものを鉄道好きと言う視野から見つめるのは今年が初めてかと思います・・・
今までは感じた事がありませんでしたが、
いざこうして深い視野でダイヤ改正を見ると、
あちこちにいろいろなドラマがあることを感じ
日頃簡単にダイヤ改正ダイヤ改正と言っていても
これほど奥の深いものだとは思いませんでした。。。
おかげで今年の2月から3月は忙しくてしょうがない毎日になってしまいましたよ(;´Д`A ```

>当時は珍しいとは思っていない光景でも、年月の経過で二度と見ることができないかもという光景になってしまいます。
まさしくこの気持ちです。。。
目で記憶してもいずれ悲しい事に記憶が薄れていってしまう・・・
だからこそ記録に残しておく事が大事と思いましたね
撮り鉄を始めてこんなにも鉄道というものは人の人生や生き方に密着し、そしてその街や風景に溶け込んでいる乗り物と思いませんでした
線路が高架になると言うだけでその街の景色は一変する・・・
昔から走り続けてきた車両が消えるとその街の風景の中にその車両が走っていた普段の風景が消える・・・
昔から長い間いろいろな人を運んできた列車が廃止となる、そうすると以前まであたりまえのように組んだスケジュールや旅行の仕方が変わる・・・

これほどまでにいろいろな事に影響を及ぼす乗り物だとは思いませんでしたよ・・・
プレ坊の思い込みが激しすぎるという噂も・・・(;´Д`A ```

いずれにせよいろいろな光景を記録に残しておく大事さを改めて感じているここ数ヶ月でありますwww

こんにちは。
どの画像も一昔前のものが多いですね。一項ずつ感想をまとめたいと思います。

<1>.京急富岡
京急富岡は99年夏に蒲田以西の急行が廃止されてからは普通電車のみの停車駅となりました。さらに蒲田以西を走る都営車の運用も01年の改正以降は朝夕しか見られなくなってしまいました。8連の電車が止まっていたことはもう過去の話ですが、その時も今も都営5300の運用範囲は広いものですね。

<2・3>.八広&青砥
千葉ニュータウン中央行きは90年代初頭まで北総公団線(当時)の終点でした。「ニュータウン」の部分はどの者局も2段表示をしていたと思います。特に京成・北総公団車は「千葉中央」と「千葉ニュータウン中央」を間違わないようにそれなりの工夫をしていました。千葉ニュータウン中央行きは00年夏に印旛日本医大まで延伸した時に姿を消しましたが、昨年9月に印西牧の原駅が線路切り替え工事を行う際に2、3本設定された出来事があります。
現在「千葉ニュータウン中央」の幕が残存する車両は少ないですが、都営車(LED)はまだ残っています。

<4>.国府台
国府台は02年秋のダイヤ改正で京成本線の急行が廃止される前までは急行停車駅でしたね。現在の国府台は各駅停車しか止まらないので、市川市民からすれば不便になった部分があります。また、千葉商科大と和洋女子大の最寄り駅でもありますから、朝夕は学生・教職員の利用者が多いです。そういうことを考えると市川駅からバスを利用するほうが便利みたいですね。(なぜなら総武線の各駅停車・快速列車が停車するので…)
京成本線の急行は東急東横線みたいに「隔駅停車」みたいなところがありましたから、これを「快速」に格上げしてより差別化を図りたかったのだと考えています。ただ、京成は一昨年のダイヤ改正で「快特」が登場し、「快特」と「快速」の区別がつきにくくなったように感じます。
最後に急行円盤ですが、98年の改正時まで使われていました。今も西馬込の車庫に残っているのでしょうかね?急行円盤は画像を見る限り京成方面で使うことが多かったようですね。

プレ坊さん
コメントありがとうございます。返事が遅くなりました。
「銀河」撮影真っ最中のブログを拝見しています。大井町線8000系運転終了の余韻に浸ってばかりはいられない状況ですね。

ダイヤ改正の概要を初チェックするのは、学期末に渡される通信簿を開いてみるときのようにドキドキするものです。新設されるもの、廃止されるもの、喜んでみたり落胆してみたりします。そして、変わるかもしれないものが変更なしとわかってホッとするときもあります。今回のJR3月改正でいえば、東京発着の寝台特急には変化がないことでホッとしています。

「はやぶさ・富士」には1971(昭和46)年製造のスハネフ14が現在でも連結されています。14系14形の最初に製造された車両が現役なのです。先代の20系客車が定期寝台特急列車からは1958年の運転開始から22年後の1980年秋のダイヤ改正までの「あけぼの」を最後に終了していたのに対して、スハネフ14は35年経った現在でも定期運用に充当されています。これには、充当列車が現存していることと、後輩の車両が国内で転配されることなく、続々と先に廃車になっているという事情もあります。そして何といっても大きいのは新車で置き換えようという動きが見られないという点です。今後も大事にしていく列車であればきっと新車を入れるはずです。昼行の特急用車両がJRになってからどれだけ変化してきたかを見れば一目瞭然です。

話を自分のブログの方に持ってきますが、京成・京急のダイヤ改正の前後に発売される時刻表チェックは毎回楽しみです。今では詳細にダイヤ改正の変化を分析するHPやブログを頼りに、後追いの形で改正内容をチェックしています。列車の増減があまりない小規模な改正と思っていても、都営浅草線を取り巻く路線の場合、同じ列車でも充当する車両の担当事業者が変化することがあります。それまで都営車で運転されていたのが京急車に変わるといった按配です。

長々と書きましたけれども、そのときに注目している鉄道のダイヤ改正が最もドキドキします。これが、少し熱が冷めてくると、以前ほど注目しなくなることもあります。
(続きます)

(続きです)
>ダイヤ改正のドラマ
これは、実際にダイヤ改正に注目してみなければわからないことなのでしょう。そして何よりも、プレ坊さんのように、ダイヤ改正で廃止される列車の撮影に励むというのは、ある日を境になくなってしまうものが、今ならまだ目の前で体感できるという、時間が過ぎ去るのを惜しむ気持ちが普段以上に強く感じられる体験だと思います。

私は都営5000形の引退を機に都営浅草線車両を撮ることがなくなってしまいました。これも惜しむ気持ちの強さの反動なのでしょう。ただ、鉄道趣味そのものは辞めませんでした。都営5000形はいなくなっても、他にも注目する鉄道の姿がいくつもあるからです。そしてまた新たなダイヤ改正に直面してお別れを体験することになるのです。この趣味はお別れの連続といってもいいですけれど、だからと言ってお別れ専門にはなりたくないと一応は思っています。でもお別れが決まってから慌ててばかりです。

どうぞ体調を崩さずにお見送りをしてください。

A80&481さん
コメントありがとうございました。返信をしないままで失礼しました。

前回紹介させていただいた5300形画像に関する思い出話や補足解説ありがとうございます。

撮影当時と現在と比べて変わってしまったと感じるのは、急行列車の運転区間の大幅な削減です。京急で実施したときは、急行列車の存在価値が薄いと感じる点もありましたので、割とすんなりと受け入れられました。反面、京成での急行列車の大幅縮小には驚かされました。京急とは異なり、特急列車にならぶ優等列車であっただけに、まさか快速に置き換えられるとは予想もしませんでした。

個人的な感想はともかく、本数は多くはなかったものの京急線・京成線内を急行列車で走行していた光景は今では思い出になりました。

急行列車や千葉ニュータウン中央の行先だけでなく、この都営浅草線に絡む直通運転路線のこの20年間の変貌は、1冊の本に仕上がるくらい大きく、そして毎年のように変化しています。とくにファンが注目する運転本数の少ない運転形態の列車は、次回の改正で残る保証がないだけに、こまめに記録する必要があります。

自分はすっかり撮影しなくなっていますが、ブログで現況を詳細に伝えるものがあり、知識不足の私は重宝しています。

>円盤
急行の円盤は、京成線直通の急行列車にだけ装着されました。理由は推測ですが、それまで普通列車での乗入れ運転しかなかったこと、京成車は3700形以前まで、種別表示を窓上だけでの表示をしなかったことを受け継いでいるものと感じます。

「鉄道ピクトリアル」京成特集の過去の写真を拝見しますと、種別・行先表示幕を装備した3300形が貫通扉に種別板を装備せずに運転している写真を見たことがあります。ところが、私の記憶では昭和50年代で種別表示板を未装備で列車の先頭に立つ3300形はいませんでした。
種別表示幕を3150形・3300形の一部、そして3500形全車に装備して、種別板を外してみたものの、表示の小ささへの対策と他車と表示位置を合せることを目的に表示幕装備車でも種別板使用を継続することにしたのだと思います。
このあたりを詳細に記述した文献に出会っていませんので、あくまで推測です。

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