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2008年5月25日 (日)

【5300形画像】 馬込検車場

今回は、馬込検車場で撮影した画像を紹介します。これらは1995(平成7)年7月に5000形の営業運転が終了する直前と、さよなら列車運転後に敷地内が一般公開された際に撮影した画像です。

1枚は、2008(平成20)年1月3日(木)【参考なれば】 5000形画像の記事で掲載したものの再掲になります。

Magome_199507b

車庫を横断するように架けられている人道橋から撮影したものです。中央のヘッドマーク装着車は最後の営業運転を務めた編成です。営業運転最後の1週間ヘッドマークを掲出していました。

Magome_199507c

車庫に隣接している第二京浜道路(国道1号線)から車庫が見える位置より撮ったものです。上の画像の前に撮影しており、5000形の停止位置が同じです。

手前の2編成、建屋から少し顔を出すように停車するのが所定なのでしょうか。

車庫の奥は住宅地になっています。大田区の馬込は高低差の大きい土地でして、車庫の奥はかなりの段差になっています。

Magome_199507a 車庫内一般公開時に撮影したものです。真横からの画像ではありませんが、これで見ますと、ヘッドランプの高さ位置が5000形と5300形でほぼ同じように見えます。

1月3日の記事と同じ画像です。

これで、マイクロエースから7月に発売予定の、都営5300形Nゲージ完成品発売告知を契機に掲載してきた、5300形車両画像紹介記事を終わります。

【5300形画像】 京急線黄金町駅

※今回紹介する画像は、既に【01】黄金町にて掲載済みの画像の再掲になります。

黄金町駅は、京急線では珍しい島式ホーム1本だけの駅です。横浜側の先端に立ちますと、下り列車がなだらかな右カーブを走ってホームに入線する様子が見られます。8両編成であれば編成全体が無理なく画面に収まる感じです。そこで5000形が引退する前に一度は撮っておきたいと思い訪問しました。1度目は逆光状態であったために、下り列車の撮影は諦めて、順光状態となっている上り列車を撮影しました。
再挑戦は冬の朝としました。太陽が夏よりも低い位置になるので、逆光にはならないだろうと思ったからです。こんな単純な思考だけで、再び黄金町駅ホームに立ってみれば、光が弱い状況でしたが、このくらいであれば撮影可能です。

Koganecho1_5313_35t

もっと列車が近づいたところで撮れば架線柱にかからずに済んだのでしょうが、ファインダーからのぞいているときは、これ以上待っていては画像から切れてしまうかもしれない、という心配な面も出てきて、結局このような画像になっています。
被写体の車輌に関するデータは、【01A】黄金町【01B】黄金町 2の本文を参照してください。

Koganecho1_5320_43t

こちらは上り列車と重なってしまいました。これでは、この位置で撮る意味があまりないと感じてしまいます。

Koganecho2_5311_43t

こちらが、1度目の黄金町訪問時に撮影したものです。下り列車は撮影断念した分、上り列車では順光状態です。

ここでは、下り列車とすれ違うときも考慮して待ち構えていましたが、幸い下り列車が通り過ぎた後にやって来ました。

太陽光線がよすぎて行先表示が見にくいのですが、この列車は急行 新町行です。新逗子まで運転後、神奈川新町行となって、一旦車庫に入庫、しばらく停車の後、子安駅から営業運転を再開します。
車両に関するデータは、【01B】黄金町 2の本文を参照してください。

逗子直通運転の列車の歴史は、概説カテゴリーで紹介しています。【逗子直通急行に関して】(1)【逗子直通急行に関して】(2)【新逗子発千葉ニュータウン行】【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】を参照してください。

《最後に》
5300形営業運転中の画像の紹介は、今回で終了です。
意識せずに撮っていたものばかりですが、その画像には現在見ることができない行先表示・急行列車の姿が記録されていました。5000形撮影の練習や5000形がやってくるまでの合間に撮ったものが、年月の経過とともにひとつの記録になります。

反面、5300形が飛躍した1998年以降の記録は撮っていません。興味や関心が別のところに向いていたからです。ですが、ちょうどインターネットによるHPの開設が始まり、デジタルカメラの普及期にもあたることもあって、web上でエアポート快特や特急・快速での画像、京成上野へ向かっていたときの画像を拝見することができ、楽しんでいます。
 羽田空港~成田空港直結列車は、設定時の本数の少なさに当時は不安を感じていましたが、結果的には数年だけの試みに終わった形になっています。もう少し年月が経過して振り返ってみたときにも、1998年羽田空港駅開業時から1999年の新逗子直通急行列車廃止までのわずかな時期が5300形黄金時代とも表現されるような気がします。

話題にするのが早すぎることですけれども、5300形は短期間に大量に新車導入されています。そして21世紀に入ってからの、いわゆる大手の鉄道会社では、大量の新車導入による短期での車両置き換えが関東のJR・民鉄を問わず実施されています。(JR東海の113系等の旧国鉄車両の引退も急速でした) これらの状況をみますと、5300形が引退するとなったときには、4年かけて営業運転から撤退した5000形よりも、もっと短い期間で引退していくのかもしれません。

2008年5月15日 (木)

【5300形画像】 北総線内上り急行列車

5300形画像の紹介をしていますが、改めて感じるのは急行列車の運転区間が減少していることです。京急・京成共に、都内だけの短区間の運転にとどまっており、急行以外の優等列車が通過するための対策で残されているようにもみえます。

そして、北総線でも上り方向(高砂方面)の急行列車は現在設定がありません。
2001年のダイヤ改正で急行から特急への格上げという形で所要時間短縮を実現したときに、上り急行列車は消滅しました。下り方向の優等列車は、特急列車に格上げされることなく、急行列車のままです。

今回紹介するのは1枚だけ撮影していた、北総線内を急行運転している5300形です。急行灯は点灯しているものの、京成線直通急行列車とは異なり「急行」円盤は未装着でした。また駅の通過があるのは北総線内だけで、京成線・都営線内は各駅停車でした。
Matsuhidai_5300 5308号車の編成 松飛台駅を通過する19T 急行 西馬込行です。

北総線の優等列車は設定当初から都営車による運転もありました。5000形も、画像の5300形と同じ19Tに充当された姿は見ているので、北総線内を急行列車で走った実績はあるはずなのですが、撮影も目撃もしないままでした。
(19Tは1994年4月改正時より、北総線内急行列車運用を設定)

北総線の優等列車の設定年月日は、北総鉄道HPの会社概要サイトの会社沿革欄に記載されています。
1993(平成5)年4月1日   急行運転の開始
2001(平成13)年9月15日 特急運転の開始

また、北総線の優等列車の変遷に関しては、衆議院議員(千葉9区選出) 水野賢一議員のHP内のブログに触れた記述があります。(けんいちの主張 2001年8月17日付 特集:北総・公団線 -運賃、成田への延伸、ダイヤ改正 「速達性の向上について」参照)

北総線の優等列車の運転本数や歴史的変遷は改めて概説カテゴリーの記事で取り上げる予定ですので、ここでは撮影画像と参照サイトの紹介にとどめさせていただきます。

2008年5月 5日 (月)

【5300形画像】 京急空港線を走り始めた頃

2ヶ月以上も更新がないままになっていました。急に環境が変わったということではなかったのですが、ご無沙汰になりました。

今回は、1995年に京急蒲田~糀谷間で撮影した画像を紹介します。まだ5000形が現役の間に撮影練習も兼ねて出かけたときに撮ったものです。1994年12月にダイヤ改正はなかったものの、空港線内を8両編成での運転が可能になってから5300形が京急空港線へ乗入れるようになりました。

1993年4月~1994年12月の間は、都営車両による空港線乗り入れが実施されたものの、有効長の関係で最大6両編成という制約が伴ったことで、8両固定編成だけの5300形は乗り入れできませんでした。6両編成の制約は一時的であることは当初から明らかだったからでしょう、5300形の6両編成版は登場しませんでした。

行先表示の羽田は、現在の天空橋です。

Kojiya_1995_5302 5302号車の編成です。いちょうマークは既に前面窓上から貫通扉へ移動しています。いちょうマークが前面窓上部にあった期間は長くありませんでした。

編成の途中が切れてしまっています。撮影していたときはぎりぎりで収まるかと思ったのですが、現像してみたら切れていました。

そもそも架線柱の影が前面に写っています。

Kojiya_1995_5306 5306号車の編成です。

こちらは8両すべてが収まっていますが、編成全体が寸詰まりのような印象の画像になりました。車体の白さよりも、扉や窓枠の影になった部分が目立ってしまっていました。

5300形のLEDの点滅は間隔が短いのでしょうか。シャッタースピードを気にせずに走行写真を撮っても行先表示の文字は切れません。ただ、順光の影響は避けられず、種別表示の文字が判読できません。

《5000形への影響》
5300形が羽田まで乗入れ可能になったことで、5000形の存続理由がひとつ失われました。しかし、当時の心境は、8両編成の5000形が空港線でも見られることの喜びの方が大きかったです。

ただそうは言っても、5000形の充当機会は減少していたうえに、1995年4月のダイヤ改正以降は5000形が他線に乗入れる回数がますます減少していったように感じられました。
印西牧の原行の5000形を見たくて、何度か列車を待ってみたこともあったのですが、5000形の印西牧の原行を見ることはできませんでした。

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