※今回紹介する画像は、既に【01】黄金町にて掲載済みの画像の再掲になります。
黄金町駅は、京急線では珍しい島式ホーム1本だけの駅です。横浜側の先端に立ちますと、下り列車がなだらかな右カーブを走ってホームに入線する様子が見られます。8両編成であれば編成全体が無理なく画面に収まる感じです。そこで5000形が引退する前に一度は撮っておきたいと思い訪問しました。1度目は逆光状態であったために、下り列車の撮影は諦めて、順光状態となっている上り列車を撮影しました。
再挑戦は冬の朝としました。太陽が夏よりも低い位置になるので、逆光にはならないだろうと思ったからです。こんな単純な思考だけで、再び黄金町駅ホームに立ってみれば、光が弱い状況でしたが、このくらいであれば撮影可能です。
もっと列車が近づいたところで撮れば架線柱にかからずに済んだのでしょうが、ファインダーからのぞいているときは、これ以上待っていては画像から切れてしまうかもしれない、という心配な面も出てきて、結局このような画像になっています。
被写体の車輌に関するデータは、【01A】黄金町と【01B】黄金町 2の本文を参照してください。
こちらは上り列車と重なってしまいました。これでは、この位置で撮る意味があまりないと感じてしまいます。
こちらが、1度目の黄金町訪問時に撮影したものです。下り列車は撮影断念した分、上り列車では順光状態です。
ここでは、下り列車とすれ違うときも考慮して待ち構えていましたが、幸い下り列車が通り過ぎた後にやって来ました。
太陽光線がよすぎて行先表示が見にくいのですが、この列車は急行 新町行です。新逗子まで運転後、神奈川新町行となって、一旦車庫に入庫、しばらく停車の後、子安駅から営業運転を再開します。
車両に関するデータは、【01B】黄金町 2の本文を参照してください。
逗子直通運転の列車の歴史は、概説カテゴリーで紹介しています。【逗子直通急行に関して】(1)と【逗子直通急行に関して】(2)と【新逗子発千葉ニュータウン行】と【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】を参照してください。
《最後に》
5300形営業運転中の画像の紹介は、今回で終了です。
意識せずに撮っていたものばかりですが、その画像には現在見ることができない行先表示・急行列車の姿が記録されていました。5000形撮影の練習や5000形がやってくるまでの合間に撮ったものが、年月の経過とともにひとつの記録になります。
反面、5300形が飛躍した1998年以降の記録は撮っていません。興味や関心が別のところに向いていたからです。ですが、ちょうどインターネットによるHPの開設が始まり、デジタルカメラの普及期にもあたることもあって、web上でエアポート快特や特急・快速での画像、京成上野へ向かっていたときの画像を拝見することができ、楽しんでいます。
羽田空港~成田空港直結列車は、設定時の本数の少なさに当時は不安を感じていましたが、結果的には数年だけの試みに終わった形になっています。もう少し年月が経過して振り返ってみたときにも、1998年羽田空港駅開業時から1999年の新逗子直通急行列車廃止までのわずかな時期が5300形黄金時代とも表現されるような気がします。
話題にするのが早すぎることですけれども、5300形は短期間に大量に新車導入されています。そして21世紀に入ってからの、いわゆる大手の鉄道会社では、大量の新車導入による短期での車両置き換えが関東のJR・民鉄を問わず実施されています。(JR東海の113系等の旧国鉄車両の引退も急速でした) これらの状況をみますと、5300形が引退するとなったときには、4年かけて営業運転から撤退した5000形よりも、もっと短い期間で引退していくのかもしれません。
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