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2010年12月 4日 (土)

浅草線開通50周年

長らく更新をしないままになりました。その間も訪問してくださった皆様、ありがとうございます。

久しぶりの投稿、この日を外してはならないと思い書いてみました。予告も書いておりますが、今回は予告とは無関係に書いてみます。

本日は馬込車両検修場で開催された「都営地下鉄開業50周年記念フェスタ」に来場された皆様、おつかれさまでした。寒さもほどほどの天候に恵まれてよかったです。私は会場へは入らずに、イベント開始前に場内を横切る歩道橋から会場の様子を眺めました。
西馬込駅構内に掲出されていたポスター

20101204_magome_025_poster

撮影会用にかけつけていた他社車両は、京急からは最新系列の1000形、北総からはリース車両以外では最古参となる北総9000形(元住都公団2000形)、京成からは現役最古参3300形のうち、赤電塗装車の姿が見えました。都営は5300形に統一されているなか、機関車の5000形も並んでいました。

50年前の車両は1両もないのですが、開業当時のスタイルで増備された京成3300形や北総7260形で今でも現役であるのは、幼い頃からお世話になった形式だけに嬉しく思います。

京成3300形は今年7月の成田スカイアクセス開通で、入れ替わりに除籍になるのではと思っていたのですが、現役を続けています。反面、京急1000形(初代)が今年の6月に営業運転終了となったのは、転機の訪れを実感しました。現在、京急車で浅草線に直通運転してくるのは、1980年代後半に製造されていた1500形になっています。

1960年の開業当時に揃えられた都の車両は、5000形2両固定8編成の合計16両。今なら8両編成2編成分しかありません。私が初めて浅草線(都営1号線)に乗ったとき(1975年頃)でも最短でも4両編成で、大抵は6両編成でした。ですから、開業当時は2両編成との記述を小学生の頃に鉄道書で読んだときは子どもながらに驚きました。

現在の路線で2両編成であれば驚異でもありますが、開通当時の運転区間は浅草橋~押上~京成高砂~東中山。浅草橋から都心へは未開通、国鉄総武線か都電に乗り継がなければならず、浅草を経由するとはいえ、通勤路線としては不十分な状況からのスタートだったこともあり、2両編成で賄える程度の輸送量でした。

ここでは殊更2両編成を強調していますが、1961年開業の日比谷線もはじめは2両編成でしたし、現在は10両編成の千代田線も開通当時は3両編成(20m車)、昭和40年代までの地下鉄路線のスタートは、そのくらいの編成でよかったところもあったのです。

同じ2両編成でスタートした浅草線と日比谷線ですが、日比谷線のほうは1964年に一足早く全線開通、そして1971年には8両編成化されます。対する浅草線は、東京オリンピック前後は路線の延伸開通がなく、全線開業も日比谷線に遅れること4年の1968年、都営車の8両編成の登場に至っては、1991年と日比谷線よりも20年も遅れてのことでした。開通時期が同じだったこともあって、昔から浅草線と日比谷線を比較してしまいます。

比較ついでに書いてしまいますが、日比谷線3000系も浅草線5000形も引退まで冷房化されることがありませんでしたが、日比谷線3000系は長野電鉄へ譲渡されて現在でも乗車することができます。対する5000形は1両も譲渡されませんでした。保存目的?で馬込車両工場に保管してあった2両の5000形は工場の閉鎖でも移動することなく、現存しないようです。(訓練施設に訓練用にあるとのことです)

結局一般の目に触れる形では残っていない5000形ですが、鉄道の日発行のプリペイドカードに、本日発売された記念乗車券の表紙でも5000形が使われており、5000形ファンとしては嬉しい限りです。

そして、馬込駅で見かけました。現在でも5000形が現役のスタンプ台です。
20101128_south_030_stamp

5000形隣の6000系も前面に青帯のない姿は懐かしいです。
今後もこのまま現役を続けて欲しいと思います。
今回は取りとめもない話で失礼しました。

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コメント

はじめまして。
久しぶりの更新ご苦労様です。
当方、90年初頭に青砥住まいだった為、貴ブログの題名に惹かれ、時折拝見させて頂いてる者です。
毎度、貴重な写真と豊富な解説に感動させられます。

工場保管の5000形は解体されてしまったのですね。国内初の架線給電地下鉄、地方鉄道との直通相互直通等、その功績を顧みると、保存、譲渡が皆無とは寂しいものです。3000形との明暗を分けた原因は屋根構造でしょうか。あちらは動態保存ですね・・・。
訓練用の車両は、是非こういったイベントで一般の目に触れるような方法で保存を行ってほしいものです。

またのエントリを楽しみにしております。

コメントありがとうございます。

更新しない期間が長く恐縮です。
当blogをご覧いただきまして、ありがとうございます。

私が5000形撮影をしていた頃に青砥にお住まいだったのですね。この頃は浅草線車両の変化だけでなく、乗り入れ事業者の変化もいろいろあって、振り返ってみますと激動期だったといえると思います。

>工場保管の5000形は解体されてしまったのですね。
⇒この件は、鉄道雑誌でも目にした記憶があります。こちらでは公開していませんが、見せていただいた保管中写真では屋根の下にあったものの、外気には触れる状態にみえました。この状態では劣化が避けられなかったものと思われます。

とはいえ、営業運転からの引退後も全車解体処分とはせずに、長らく保管し続けていたことだけでも感謝です。

>3000形との明暗を分けた原因は屋根構造でしょうか。
⇒これも関係していると思います。お神輿や山車のように、屋根も壁も風雨からしのぐ倉庫に保管するくらいでないと難しかったのかもしれません。

>訓練用の車両
詳細を書かずに失礼しました。私が教えていただいた訓練用というのは、東京消防庁の訓練施設です。

HPからでも確認できます。
top page⇒組織・施設⇒消防学校⇒訓練施設 地下鉄訓練室(5069が写っています)
東京消防庁HP top page
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/index.html

ですので、消防学校が一般公開される際に見学できるかどうかという存在です。

更新の少ないblogですが、今後も宜しくお願いします。

浅草線5000形のうち、現存するのは先頭車の5069のみで、渋谷区西原にある東京消防庁の消防学校で訓練用として使用されています。
5000形は全車廃車解体されたと思っていましたけど、本日、江戸東京博物館の「東京交通100周年展
」で5069のみが現存していると聞いてほっとしました。

キヨ党さん、コメントありがとうございました。
コメントの公開と返信が大変遅くなりまして、すみませんでした。

結局、開催中に触れずじまいになってしまいましたが、私も江戸東京博物館で見てきました。消防学校に訓練用の車輌があることは、消防学校のHPから伺うことができたのですが、交通局の展示で紹介されたことは、大変嬉しいことでした。

建物内にありますので、自由に見ることもできない状況ですが、形あるものとして存在すること自体が喜ばしいことです。

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