2007年9月19日 (水)

【5000形の塗装】

保育社のカラーブックス『都営地下鉄』(1982.12初版・1987.12重版)を読んでいたら、5000形の塗装に関する記述がありました。参考に、こちらに記載しておきます。

同書の執筆者、山田玉成さんは、発刊当時東京都交通局の車両部長を務めていらした方です。

《5000形の塗装》
【登場時の旧塗装】

ステンレスの飾り金に縁取られた90mm幅のメタリックシルバーの帯
上部がタウンベージュ 下部がタンジェリン  

【1981.7.10 塗装変更後=引退時の塗装】
ライトタウンベージュの車体に360ミリ幅のタンジェリンの帯 

(塗装変更理由)
イメージの一新、補修費の軽減、軽快でフレッシュな感覚を表現、地下鉄ラインカラーを考慮、視認性の保持、塗装工程の短縮、塗料種類の減少による作業の効率化

◇参照文献
○山田玉成・諸河 久、『日本の私鉄21 都営地下鉄』カラーブックス 589 保育社(1982.12.5初版 1987.12.1重版)

(勝手なコメント)
地下鉄ラインカラーは、都営浅草線は桃色でしたので、それに近い色を全体に纏うようにしたものと感じます。  

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2007年9月16日 (日)

【千葉ニュータウン中央の行先表示】

Yotsugi_3113_91k_newtown  《京成車の場合》
“ニュータウン”を大きく、“千葉”と“中央”は読み取れない程小さな文字で表示していました。

京成線には1987年4月に「京成千葉」から改称した「千葉中央」があり、行先表示としても頻繁に表示されていました。場所は大きく異なるけれども、混同防止を図ったものと思われます。

3113号車 四ツ木駅

北総線乗り入れ開始当初、京成赤電スタイルの前面を保つ3100形も、4両2本連結の8両編成で運行されていました。

京成赤電のうち、前照灯の位置を窓下に下げる更新工事をした3150形は、後に北総へリースされましたが、3100形は北総へリースされることはなく、北総カラーの3100形は登場しませんでした。

Yotsugi_5101_23t_newtown

《都営車の場合》
“ニュータウン”を2段表示として、“千葉”と“中央”を両脇で固める表示方法をとりました。

5000も5200も文字の配置は同じでした。5200の側面は‥確認するのを忘れました。

5101号車 四ツ木駅

【休日ダイヤでみる北総ー都営線直通列車 1991年】

ここでは、1991(平成3)年3月31日より開始した京急ー都営ー京成ー北総・公団の直通列車のうち、休日ダイヤに限定して整理してみます。

この日は北総線2期線(新鎌ヶ谷ー京成高砂)の開通日で、それまでの新京成線松戸までの乗り入れ運転に加えて、京成高砂から更に都営線へ乗り入れる運転を開始しました。
 早朝・深夜を除き、京成高砂まで走ってきた北総・公団線列車は西馬込行か川崎行となり5者直通運転をしていました。そのなかでも、平日の朝夕以外は川崎行が基本となっています。休日でも西馬込発着の列車はありましたが、本数は少なく、西馬込発は朝4本・夜5本の9本、西馬込行は朝3本、夜8本の11本だけでした。

千葉ニュータウン中央(以下、「千葉NT」)発時刻をみますと、6:53発から19:12発まで約20分間隔の列車の全てが川崎行です。千葉NTー川崎間は片道おおよそ1時間30分、折り返し時間を含めた3時間20分を1つのサイクルとして、10編成によって運行されていました。

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2007年7月16日 (月)

【逗子直通急行に関して】(1)

現在都営車が新逗子へ乗り入れる運用は特急だけになりました。ところが5000形が健在だった頃、長期間にわたり平日朝3本だけの逗子線直通列車が急行列車で運行されていました。自分が5000形を撮影していた頃も、「新逗子」行は注目の列車でした。

5000形が逗子線へ直通していたのは1981年-1995年までの14年間、80年代の一時期だけ休日日中に逗子直通急行が片道20本も設定されていましたが、京急線内運用を除けば、概ね平日朝3本直通列車の歴史でした。

この軌跡を簡単にまとめてみました。

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【逗子直通急行に関して】(2)

逗子線直通運用が増加した時代は長くは続きませんでした。
1988年改正で休日の新逗子行直通急行が一気に消滅、平日朝のみ直通の姿に戻ります。

そして、1991(平成3)年の北総・公団線直通運転開始と共に、新逗子ー北総・公団線直通列車が登場します。そして次第に8両編成化されていき、1994年末には3本とも8両編成運用が所定になりました。

5000形は翌1995(平成7)年7月に全車営業運転終了。直通運用は5300形が引き継ぐものの、1999(平成11)年7月ダイヤ改正で蒲田以南の急行列車の設定が廃止されたことで、都営車による逗子線直通急行の歴史も終わります。
その後は新逗子発特急1本が都営車5300形担当になりました。

ここでは、新逗子統合駅開業から5000形引退時までの歴史を振り返ります。

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【新逗子発千葉ニュータウン中央行】

北総開発鉄道(現北総鉄道)2期線(京成高砂~新鎌ヶ谷)開通と共に、都営浅草線とも直通運転を開始したのが1991(平成3)年3月31日です。このときは朝夕に都営浅草線西馬込への直通があるほかは、川崎への直通運転がメインでした。北総・公団線の電車はそれまでの新京成線松戸への直通運転に加えて、公団-北総-京成-都営-京急の5者直通運転も定期運行となりました。

このときから、1999(平成11)年7月31日のダイヤ改正までの僅か8年間に過ぎませんでしたが、新逗子発千葉ニュータウン中央行という5者直通を最大限に活用した列車が平日に設定されていました。逆方向の列車も含めて、この長距離列車は1-3本しか設定されない寡少な存在でした。

川崎以南での「千葉ニュータウン中央」と北総・公団線内での「新逗子」の行先表示を見る機会が少ない分、注目度も高まります。とくに行先文字の多い「千葉ニュータウン中央」は、京急線内の急行表示と急行灯点灯とあわせて、5000形撮影意欲が湧く列車でした。

ここでは、8年間に及ぶ新逗子発千葉ニュータウン中央行(印西牧の原行含)直通列車に焦点を当てて、その歴史をまとめてみます。5000形引退(1995年7月)後の動向も含めて記述します。

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【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】

こちらでは、都営車両を使用する新逗子ー都営/京成/北総線直通急行列車の歴史のうち、新逗子発北総線直通列車が一旦廃止されて5000形も用いられることがなくなった1995年4月改正より、京急蒲田以南の急行列車が全廃される(※)1999年7月改正までを取り上げます。(※正月箱根駅伝の川崎折返し・緊急時を除く)

1995年4月改正より、このロングラン運用に北総・公団車が新たに加わりました。その後も、ダイヤ改正毎に細かな変化がみられます。

特筆は北総線内発新逗子行が1本増加して4本体制にまでなること、一時期北総・公団車ではありますが、北総線内で「急行新逗子」の行先表示の列車が登場しています。

また、都営車を用いる京急線直通特急運用の絡みで新逗子→京成高砂が1本増加したこともあります。

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【都営車の京成線直通急行】

ここでは、都営車による東中山以遠の京成線直通列車(以下、「京成線直通列車」。)について、スタート時の1983(昭和58)年10月1日ダイヤ改正から5000形が引退する1995(平成7)年までの間の動きを書いてみます。

自分の記憶では、特段のきっかけもなく、突然都営車による京成線直通列車の運転が始まりました。都営車の京成線乗入れ区間は長らく東中山まででしたので、津田沼や八千代台でも都営5000形が見られることが可能となり、大いに喜びました。1983(昭和58)年10月1日改正で京成成田までと乗入れ区間が大幅に伸びたのです。

そして、1991(平成3)年3月改正では8両編成も登場すると共に、いよいよ旧成田空港駅である東成田駅まで乗入れ区間が延伸されます。

一度設定された京成線直通列車運用は、歴代のダイヤ改正で途切れることはなく、1995(平成7)年7月の「5000形さよなら運転」も京成線直通急行列車で運行されました。

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