2010年12月 4日 (土)

浅草線開通50周年

長らく更新をしないままになりました。その間も訪問してくださった皆様、ありがとうございます。

久しぶりの投稿、この日を外してはならないと思い書いてみました。予告も書いておりますが、今回は予告とは無関係に書いてみます。

本日は馬込車両検修場で開催された「都営地下鉄開業50周年記念フェスタ」に来場された皆様、おつかれさまでした。寒さもほどほどの天候に恵まれてよかったです。私は会場へは入らずに、イベント開始前に場内を横切る歩道橋から会場の様子を眺めました。
西馬込駅構内に掲出されていたポスター

20101204_magome_025_poster

撮影会用にかけつけていた他社車両は、京急からは最新系列の1000形、北総からはリース車両以外では最古参となる北総9000形(元住都公団2000形)、京成からは現役最古参3300形のうち、赤電塗装車の姿が見えました。都営は5300形に統一されているなか、機関車の5000形も並んでいました。

50年前の車両は1両もないのですが、開業当時のスタイルで増備された京成3300形や北総7260形で今でも現役であるのは、幼い頃からお世話になった形式だけに嬉しく思います。

京成3300形は今年7月の成田スカイアクセス開通で、入れ替わりに除籍になるのではと思っていたのですが、現役を続けています。反面、京急1000形(初代)が今年の6月に営業運転終了となったのは、転機の訪れを実感しました。現在、京急車で浅草線に直通運転してくるのは、1980年代後半に製造されていた1500形になっています。

1960年の開業当時に揃えられた都の車両は、5000形2両固定8編成の合計16両。今なら8両編成2編成分しかありません。私が初めて浅草線(都営1号線)に乗ったとき(1975年頃)でも最短でも4両編成で、大抵は6両編成でした。ですから、開業当時は2両編成との記述を小学生の頃に鉄道書で読んだときは子どもながらに驚きました。

現在の路線で2両編成であれば驚異でもありますが、開通当時の運転区間は浅草橋~押上~京成高砂~東中山。浅草橋から都心へは未開通、国鉄総武線か都電に乗り継がなければならず、浅草を経由するとはいえ、通勤路線としては不十分な状況からのスタートだったこともあり、2両編成で賄える程度の輸送量でした。

ここでは殊更2両編成を強調していますが、1961年開業の日比谷線もはじめは2両編成でしたし、現在は10両編成の千代田線も開通当時は3両編成(20m車)、昭和40年代までの地下鉄路線のスタートは、そのくらいの編成でよかったところもあったのです。

同じ2両編成でスタートした浅草線と日比谷線ですが、日比谷線のほうは1964年に一足早く全線開通、そして1971年には8両編成化されます。対する浅草線は、東京オリンピック前後は路線の延伸開通がなく、全線開業も日比谷線に遅れること4年の1968年、都営車の8両編成の登場に至っては、1991年と日比谷線よりも20年も遅れてのことでした。開通時期が同じだったこともあって、昔から浅草線と日比谷線を比較してしまいます。

比較ついでに書いてしまいますが、日比谷線3000系も浅草線5000形も引退まで冷房化されることがありませんでしたが、日比谷線3000系は長野電鉄へ譲渡されて現在でも乗車することができます。対する5000形は1両も譲渡されませんでした。保存目的?で馬込車両工場に保管してあった2両の5000形は工場の閉鎖でも移動することなく、現存しないようです。(訓練施設に訓練用にあるとのことです)

結局一般の目に触れる形では残っていない5000形ですが、鉄道の日発行のプリペイドカードに、本日発売された記念乗車券の表紙でも5000形が使われており、5000形ファンとしては嬉しい限りです。

そして、馬込駅で見かけました。現在でも5000形が現役のスタンプ台です。
20101128_south_030_stamp

5000形隣の6000系も前面に青帯のない姿は懐かしいです。
今後もこのまま現役を続けて欲しいと思います。
今回は取りとめもない話で失礼しました。

2009年1月21日 (水)

【10A】 高輪台 <その1>

長らく更新のないままになってしまい恐縮です。
遅ればせながら本年もスローペースで進行していきますので、その旨よろしくお願い申し上げます。

※おしらせ search画像の拡大表示のしかたが変わりました。拡大画像を戻すときは、拡大画像の右上に表示される「×」表示をクリックしてくださいsearch

Takanawadai_5092_2 

《前置きが長いですが、撮影の動機から》
以前から予告していました高輪台駅です。浅草線内では特徴あるシールドトンネル構造の駅です。1968(昭和43)年の開通当時は、まだシールドトンネル構造の駅も少なかったので、興味深く見られていたのではないかと思います。

幼い頃から、高輪台駅は通るたびに車窓からホームの様子を確認する駅でした。

当時、これまた時々利用していた営団地下鉄(現在東京メトロ)日比谷線の恵比寿駅は、ホーム天井が高い駅でした。八丁堀駅も天井の高さが記憶に残っています。いかにも開削工法で掘った地下駅の埋め戻し部分を少なくしたような印象がありました。それに対して浅草線の地下駅では、天井が高いと感じるホームの記憶が少ないです。この件では自らの疑問に応えるほどの探求を未だにしておりません。

以前から浅草線の地下駅はホーム天井までの距離が高くないというのが個人的な認識になっていまして、それ故に、トンネル構造から天井が高く感じられる高輪台駅ホームで、一度は5000形を撮っておきたいと思っていました。

《高感度フィルムで撮影》
この画像を撮影したのは1995(平成7)年です。まもなく全車引退が近づこうとしている頃でした。地下ホームで撮影するにあたり、停車直前の状態を撮ってみたいと思いました。当時は5000形も全編成8両編成になっており、停止位置からではホーム先端の余裕が少なく、思ったとおりの撮影ができないと考えたからです。

当然フラッシュはご法度です。そこで、一度も使ったことのない高感度フィルムを使いました。ISO1600です。ISO800までしか使用経験がなかったのですが、カメラのオート設定も参考にしながら露出の設定をしました。いわば機械まかせだったのですが、自分の意図した画像になりました。
上の画像は泉岳寺行です。ホームで待っているお客さんが電車に近づかないでいたおかげで、編成の後ろの方も思った以上に入りました。

前の記事で紹介した京成3500形画像は暗く写ってしまいましたが、この画像ではそこまで暗くなりませんでした。
<今回はここまでです。>

2008年5月25日 (日)

【5300形画像】 馬込検車場

今回は、馬込検車場で撮影した画像を紹介します。これらは1995(平成7)年7月に5000形の営業運転が終了する直前と、さよなら列車運転後に敷地内が一般公開された際に撮影した画像です。

1枚は、2008(平成20)年1月3日(木)【参考なれば】 5000形画像の記事で掲載したものの再掲になります。

Magome_199507b

車庫を横断するように架けられている人道橋から撮影したものです。中央のヘッドマーク装着車は最後の営業運転を務めた編成です。営業運転最後の1週間ヘッドマークを掲出していました。

Magome_199507c

車庫に隣接している第二京浜道路(国道1号線)から車庫が見える位置より撮ったものです。上の画像の前に撮影しており、5000形の停止位置が同じです。

手前の2編成、建屋から少し顔を出すように停車するのが所定なのでしょうか。

車庫の奥は住宅地になっています。大田区の馬込は高低差の大きい土地でして、車庫の奥はかなりの段差になっています。

Magome_199507a 車庫内一般公開時に撮影したものです。真横からの画像ではありませんが、これで見ますと、ヘッドランプの高さ位置が5000形と5300形でほぼ同じように見えます。

1月3日の記事と同じ画像です。

これで、マイクロエースから7月に発売予定の、都営5300形Nゲージ完成品発売告知を契機に掲載してきた、5300形車両画像紹介記事を終わります。

【5300形画像】 京急線黄金町駅

※今回紹介する画像は、既に【01】黄金町にて掲載済みの画像の再掲になります。

黄金町駅は、京急線では珍しい島式ホーム1本だけの駅です。横浜側の先端に立ちますと、下り列車がなだらかな右カーブを走ってホームに入線する様子が見られます。8両編成であれば編成全体が無理なく画面に収まる感じです。そこで5000形が引退する前に一度は撮っておきたいと思い訪問しました。1度目は逆光状態であったために、下り列車の撮影は諦めて、順光状態となっている上り列車を撮影しました。
再挑戦は冬の朝としました。太陽が夏よりも低い位置になるので、逆光にはならないだろうと思ったからです。こんな単純な思考だけで、再び黄金町駅ホームに立ってみれば、光が弱い状況でしたが、このくらいであれば撮影可能です。

Koganecho1_5313_35t

もっと列車が近づいたところで撮れば架線柱にかからずに済んだのでしょうが、ファインダーからのぞいているときは、これ以上待っていては画像から切れてしまうかもしれない、という心配な面も出てきて、結局このような画像になっています。
被写体の車輌に関するデータは、【01A】黄金町【01B】黄金町 2の本文を参照してください。

Koganecho1_5320_43t

こちらは上り列車と重なってしまいました。これでは、この位置で撮る意味があまりないと感じてしまいます。

Koganecho2_5311_43t

こちらが、1度目の黄金町訪問時に撮影したものです。下り列車は撮影断念した分、上り列車では順光状態です。

ここでは、下り列車とすれ違うときも考慮して待ち構えていましたが、幸い下り列車が通り過ぎた後にやって来ました。

太陽光線がよすぎて行先表示が見にくいのですが、この列車は急行 新町行です。新逗子まで運転後、神奈川新町行となって、一旦車庫に入庫、しばらく停車の後、子安駅から営業運転を再開します。
車両に関するデータは、【01B】黄金町 2の本文を参照してください。

逗子直通運転の列車の歴史は、概説カテゴリーで紹介しています。【逗子直通急行に関して】(1)【逗子直通急行に関して】(2)【新逗子発千葉ニュータウン行】【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】を参照してください。

《最後に》
5300形営業運転中の画像の紹介は、今回で終了です。
意識せずに撮っていたものばかりですが、その画像には現在見ることができない行先表示・急行列車の姿が記録されていました。5000形撮影の練習や5000形がやってくるまでの合間に撮ったものが、年月の経過とともにひとつの記録になります。

反面、5300形が飛躍した1998年以降の記録は撮っていません。興味や関心が別のところに向いていたからです。ですが、ちょうどインターネットによるHPの開設が始まり、デジタルカメラの普及期にもあたることもあって、web上でエアポート快特や特急・快速での画像、京成上野へ向かっていたときの画像を拝見することができ、楽しんでいます。
 羽田空港~成田空港直結列車は、設定時の本数の少なさに当時は不安を感じていましたが、結果的には数年だけの試みに終わった形になっています。もう少し年月が経過して振り返ってみたときにも、1998年羽田空港駅開業時から1999年の新逗子直通急行列車廃止までのわずかな時期が5300形黄金時代とも表現されるような気がします。

話題にするのが早すぎることですけれども、5300形は短期間に大量に新車導入されています。そして21世紀に入ってからの、いわゆる大手の鉄道会社では、大量の新車導入による短期での車両置き換えが関東のJR・民鉄を問わず実施されています。(JR東海の113系等の旧国鉄車両の引退も急速でした) これらの状況をみますと、5300形が引退するとなったときには、4年かけて営業運転から撤退した5000形よりも、もっと短い期間で引退していくのかもしれません。

2008年1月27日 (日)

【09訂正】 白井

お知らせいたします。
1月20日に公開しました【09】 白井にて、4枚中はじめの2枚の撮影位置を勘違いして記載しました、橋を渡る様子の画像です。この2枚は、後半の2枚とは別の位置の撮影で、白井ー小室間の二重川を渡る位置ではなくて、西白井ー白井間の神崎川を渡るところでした。

本文も訂正したものを公開しています。失礼いたしました。

画像を見比べればすぐにわかることでしたが、送電線の位置がはじめの2枚と次の2枚とで全然異なるのに、同じ橋を撮っていたと解釈するとは情けないです。

画像の背景に写っている太い煙突のような高層建築物を、公開前まではニュータウン内の換気塔か煙突と思う程度でいました。今になって、送電線の位置関係が気になり道路地図を見直してみると、西白井ー白井間にも橋があることや、北総線の北側に記載されている千葉県水道局白井高架水槽なる施設に注目しました。検索してみたら、本文で紹介したブログ「癸卯雑識」さんの今月公開したばかりの白井高架水槽の画像を拝見、見比べてみて同じものだろうと判断したのです。

これで、現地に長年訪問していないままブログを作成していることが明らかになってしまいましたね。ご覧になっていた方で気になっていた方もいらっしゃると思います。今後は気をつけます。

2008年1月20日 (日)

【09】 白井

前回の北総線は、第2期線の大町を【03】で紹介しましたが、今回は最初に開業した区間にある白井を紹介します。撮影は駅ホームではなくて、小室寄りにある橋周辺で撮影したものです。
今回紹介する画像では、車両が小さく写っているために車両番号は判読できませんでした。

《ニュータウン内を、高規格道路と並走する光景》
大阪の千里ニュータウンを走る北大阪急行や、泉北ニュータウンを走る泉北高速鉄道(大阪府都市開発)で見られる道路の中央を高速鉄道が並走する光景は、未来の鉄道のような感覚があって憧れでした。千葉ニュータウン内の道路予定地のような空き地の中央を北総線電車が走る様子を見ては、千葉県でもいずれ実現するだろうと大いなる期待を持っていました。

ところが、期待に反して、開業して10年以上経過しても線路の両脇は空き地のまま、工事に着手する雰囲気すらありません。しかし、このような光景は逆に珍しいものであり、これまで都営5000形が走行していた区間でも見ることはできなかったものでした。そこで、一度は5000形が走る様子を撮っておこうと思ったのです。

Shiroi_5000_1994_2

西白井ー白井間の、国道464号線と並行して神崎川を渡る様子を撮ったものです。画像の奥へ向かう方向が白井・千葉NT方面です。 
 高規格道路の中央を走る鉄道の光景を意識して、周囲の様子もできるだけ取り入れて~なんて意図していますが、ニュータウンらしい建物が入っておらず、車両が小さく写っているだけの画像になっています。

橋といっても鉄橋ではなくて見た目にはコンクリートの側壁が追加されているだけのようなものです。車両の前面くらいは側壁にかからない位置で撮っておけばよかったです。

 国道464号線には信号が少ないこともあって、走行する車の速度も速め、通過台数が多くなくても電車にかかっては面白くないので、列車を待つ間は車のことがずっと気になっていました。路面電車であれば大抵は1-2両の長さで済みますが、ここでは6両編成100mを越す長さです。列車の運転間隔20分と長いこともあり、被りの発生は避けたかったです。

 この画像では小さく写っている接近中の車も、ファインダー越しには、もっと接近しているように感じられました。

《撮影位置を改めて紹介》
撮影位置を勘違いして公開してしまいましたので、改めて道路地図を参照しながら書きます。ここは白井市根という住所で、背景に写る場所は地図ではニュータウン未開発地です。そして、背景で小さく線路を横断しているのが千葉県道189号千葉ニュータウン北環状線の陸橋と思われます。(線路と直交しているように見えるので、北総線を斜めに横断する木下街道の白井大橋ではないと思います)。

画像手前は国道464号線の西白井方向車線です。この画像のさらに右方向には、日本中央競馬会競馬学校や京葉瓦斯白井供給所のガスタンクがあります。

電車のバックの背の高い建造物は、千葉県水道局の白井高架水槽です。(間違っていないと思います‥)
白井高架水槽に関しては、ブログ「癸卯雑識」さんの2008年1月掲載の白井に関する記事を参照しました。ありがとうございました。
癸卯雑識」は、給水塔系サイト「 ALL ALONG THE WATERTOWER」の管理人K.T.さんが開設しているブログです。

Shiroi_3200n_1994

《京成車も日中に北総線走行》
撮影をしたのは1994(平成6)年の夏、羽田駅乗り入れが6両編成限定の頃でしたので、日中に5000形・京成車・京急車の6両編成が走り、逆に6両編成を用意していない北総・公団車や都営5300形を見る機会が少ない時期でした。

画像の京成車は全車両が現行塗装へ変更済みです。ファイアオレンジ主体の前塗装に比べて、爽やかさも感じられて、この光景にも溶け込んでいる印象です。車両番号は確認できませんでしたが、パンタグラフ2基搭載車が含まれていますので、3200形の6両固定編成です。

3200形のうち、冷房改造で補助電源装置をSIVとした車両(先頭車)は、離線防止でパンタ2基搭載(SIV搭載先頭車の連結相手)となりました。反面パンタ撤去車(2台パンタ車の隣)もあるので、6両で3基のパンタを搭載し、うち1両が2基搭載車でした。3300形は3200形よりも早期に冷房改造が実施されたので、2基パンタ装備車はいません。

3200形は、4両固定編成で登場していて、1985年~1988年の更新時に3221~3280の60両で6両固定編成化が実施されました。
(稲葉克彦、「現有車両プロフィール2007」 モハ3200形、『鉄道ピクトリアル』No.787 2007年3月臨時増刊号 【特集】京成電鉄 P216)

Shiroi_3200r_1994 《道路と線路の間の空き地》
白井ー小室間に移動して撮影しました。道路と並行して二重川(ふたえがわ)を渡る様子を撮ったもので、電車は千葉ニュータウン中央行の京成車です。

こちらも道路地図を参照しながら書きます。橋で超える二重川が白井市と船橋市の境界になっています(小室駅は船橋市内の駅です)。川向こうの電車の奥の緑地が小室4号緑地になります。背景の道路橋は国道424号線の東方向車線に架かる法目(ほうめ)北大橋で、次の画像の右手に写っているのが西方向車線の小室南橋です。
 
バックの送電線が物々しい雰囲気です。この画像では見えませんが、右方向(南東の方角)に、東京電力新京葉変電所があります。

この画像で道路(国道464号線)と北総線の間隔が掴めます。高速道路が余裕で設置できるだけの空き地が線路の両側に伸びています。夏なので草の伸び方も元気です。

《塗装変更進行中》
この編成は塗装変更未施行の京成車です。前の画像と同じ日の撮影で、当時の京成車は新旧塗装の混在時期、なかには固定編成中の一部の車両だけ塗装変更が行われた混色編成もありました。そして、この編成もパンタ2基搭載車が含まれているので3200形です。

車両の横の電線が目障りなのですが、うまく処理ができませんでした。

Shiroi_1000_1994

《京急電車が北総線を快走》
このときに撮りたかった車両です。京急(旧)1000形、京急の主力車両としての地位はまだ不変で、浅草線内でも普通に走っていた頃でした。

北総線の高砂までの延伸開業から、公団線も含めた5者直通運転が開始されたものの、京急車だけ使用されませんでした。ところが、京急空港線へ6両編成限定での直通運転開始時から、京急車が羽田~千葉NT中央の列車に用いられるようになったのです。

京急車が北総線内を走るのは、京急空港線6両編成限定の時期だけになるかもしれないと予想したことも、撮りたかった理由です。

実際空港線の6両編成制限が解除された後に実施された1995(平成7)年4月のダイヤ改正で、京急車の北総線乗り入れは一旦消滅しました。予想通りと思ったものの、3ヵ月後には京急車の北総・公団線乗り入れが復活、その後も継続して京急車が北総線まで乗り入れています。ただ、京急車の6両編成が北総線内で使用されることはないでしょうから、この光景も今では思い出になっています。

車両番号は不明ですが、分散式冷房装置搭載車です。

【09補足】 白井

《羽田~千葉NT間 6両編成運転時代を紹介》
 先月、しろちゃんさんより戴いたコメントに、「いま気になっているのは、1993年4月からしばらく、6連で羽田~千葉NT往復していた頃です」とありました。恥ずかしながら、しろちゃんさんのコメントを拝見したときに、その時期の画像をメインに据えた記事をまだ作成していないことに気がつきました。
 そこで、今回の白井では、羽田~千葉NTを6連で運転していた時期の都営・京成・京急の各車両の様子を紹介してみることにしました。

もともと車両を小さく撮る傾向がある中で、とりわけ車両が小さく写っている画像ばかりで構成しています。周囲の景色とのセットでご覧いただければと思います。
 掲載画像選択のきっかけを作っていただいたしろちゃんさんに御礼申し上げます。ありがとうございました。

実はそれまでは、公開する季節に合わせて、冬に白井で撮影した画像を紹介する予定でいました。
Shiroi_23t_5081

最後尾が架線柱に重なってしまった画像ですが、8両編成の魅力を捉えたと自身は満足しています。
 冬に撮影した画像は、別の機会に紹介してみます。

《西白井で撮影した画像のほうが気に入っています》
1994年夏に出かけたときは、西白井駅よりさらに西側の地点から小室まで、徒歩で移動しながらの撮影でした。線路を越す陸橋が少ない場所を選びながらの撮影です。私は西白井で撮った画像のほうが気に入っています。

今回は数少ない5200形を写した画像を紹介します。ここも別の機会に改めて紹介してみます。
Nisishiroi_5207 最後尾車の車両番号が5207と読めました。8両編成への編成替えの際に余剰となり除籍となった車両です。

▼5200番台とも呼ばれたステンレス車両は、5000形第6次車として、5201-5212が6連固定2本で、1976(昭和51)年3月に製造(アルナ工機製造)、4月1日竣工
冷房化は、5201-5206が1989(平成元)年10月4日。5207-5212が1988(昭和63)年12月22日に実施。

5207 5208 5211 5212の4両は、1996(平成8)年9月3日廃車。
5201-5206と5209・5210で、1996(平成8)年12月27日より8両固定編成で営業運転開始

2000(平成12)年8月14日に、形式を5000形から5200形に変更。2006(平成18)年11月にさよなら運転実施後、全車引退。
(岸上明彦、「私鉄車両めぐり〔166〕 東京都営地下鉄」 浅草線、『鉄道ピクトリアル』No.704 2001年7月臨時増刊号 【特集】東京都営地下鉄 P157)


《千葉ニュータウン内の線路両側の空き地》
記事本文では「空き地」と記述して、○○予定地とは明記しませんでした。これは、未利用地に関する情報の整理や理解をするのが間に合わなかったからです。インターネットの検索や、以前に目を通した鉄道雑誌の記述などから、この未利用地部分には、北千葉道路・千葉県営鉄道・成田新幹線の予定地が含まれていることは掴みました。白井や西白井の空き地に、成田新幹線は含まれていないです。

ただ、北千葉道路の構想自体を把握していません。現在北総線に並走する記事本文でも写っている道路は、道路地図では国道474号線になっていますが、Wikipedia「北千葉道路」によれば、県道だったのを1993年に国道指定にしたとの記述がありました。北千葉道路とはいったいどのような完成図を描いて計画していたのか、現在の姿が目指す方向だったのか、もっとよく知りたいのです。

理解するのが間に合わなかったので、言葉を濁した形の表現をとりました。文献読みなどの確認作業を実行するのに時間がかかると思いますが、北総線開業当時から用途が気になっていた土地です。5000形の動向には直接関係はありませんが、長年の宿題として、是非把握してみたいです。

2007年11月18日 (日)

【08A】 京成八幡

08_28_23 《京成線内の島式ホーム》
当時京成中山駅近辺に住む友人宅へ向かう際に、普通列車への乗り換えも兼ねて、八幡駅で5000形を撮影したものです。京成線内では珍しい島式ホームの駅という以外に特色もない光景ですが、せっかく5000形を撮影できるのだからと、時間を合わせて撮ったものです。

線路の間の架線柱や信号機器がなければ、もう少し車両の側面も入れた撮影をしたかったのですが、下見せずに現地に立ってみたら、正面がちに撮るしかないということになりました。

京成八幡駅は駅前に京成百貨店がある、特急列車も停車する主要駅です。現在は都営新宿線本八幡駅との接続をしています。

京成線では、有料制でない優等列車はもれなく八幡に停車していたのに対して、並行するJR総武本線の本八幡駅では快速列車は通過しています。反対にJR快速が停車する市川に近接する市川真間を京成の特急は通過しています。この対照的な停車駅の設定は幼い頃から興味がありました。

08_28_12

《どこかのんびりした雰囲気が》
発車直前に1枚撮ってみました。影が多いですが、並走するJR総武本線の駅との規模の違いを感じるホームの様子です。

朝夕ラッシュ時以外の時間帯ばかりの私の体験ですが、八幡は特急停車駅であるにも関わらず、大勢の乗客が乗り降りする様子は見られませんでした。この画像からも賑やかさは感じられず、どこかのんびりした雰囲気があります。

《休日に多かった都営車急行》
撮影当時、平日は2本の編成が各々1往復するだけの都営車使用の急行列車も、休日ダイヤになると都営車使用の急行列車が増加しました。増加した理由は未確認ですが、都営車の京成線内急行列車を楽しみたければ、休日が狙い目でした。1991年3月のダイヤ改正当時は5000形8両編成が主力の休日の急行運用も、5300形の投入されていくにしたがって、次第に5000形の姿が見られなくなっていきました。
概要ですが、京成車直通急行運用の歴史はこちらへ

▼(西馬込寄) 5117-5120は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業時の5次車で登場(近畿車輛製造)、1994年8月26日廃車。

▼(成田寄) 5141-5144は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業時の5次車で登場(ナニワ工機製造)、1994年8月26日廃車。
同日に上記の8両だけが廃車になっていますので、撮影後もこの2編成併結の8両編成で運用に就いていたものと思われます。

続けて、京成車だけの構成ですが、当時よく下車していた京成中山駅で撮影した画像を紹介します。

(1993(平成5)年2月14日撮影)

2007年11月17日 (土)

【08B】 京成中山

08_28_13 《構内踏切のある駅、京成中山》
1990年代前半頃、下総中山に住んでいる友人(男性)宅に訪問するのに、乗り換えの楽な京成電車利用でも出かけていました。その際に撮った画像を紹介します。

※この記事には都営車の画像はありません。

構内踏切があるからレトロというわけではありませんが、構内踏切のある駅のもつ雰囲気には、鉄道ファンとしては趣深いものを感じます。

中山駅の場合は、駅部分だけでなく駅周囲の街の雰囲気も昭和30年代そのままといっていいのでしょうか、京成電車であれば、この画像に青電を置いても違和感を感じないことでしょう。中山法華経寺の門前町の風情がいい感じです。

Wikipedia「京成中山駅」に掲載されている駅の画像(2005年撮影)と比べますと、下りホーム(船橋方面)では踏切部以外に上屋がないのに対して、現在ではホームの長さ半分程度の上屋が設置されています。
撮影時点では一時的に上屋が撤去されていたのでしょうか。確認不十分です。

続きを読む "【08B】 京成中山" »

2007年9月16日 (日)

【07A】 神武寺 A

Jimmuji_5101_21t_940705 《横浜市金沢区を越えて逗子市へ》
神武寺は京急逗子線の終点新逗子の1つ手前の駅です。
 隣駅の六浦は横浜市金沢区、神武寺は逗子市内で、いよいよ終点に近づいた感のする駅です。駅そばに小高い山がそびえ、駅東側は米軍住宅の敷地ということもあって、駅ホーム周囲は静かな場所です。

都営車にとっては、逗子線は京急線への長距離乗入れ先でもあり、1981年以降10数年にわたり、逗子線でも活躍の姿が見られました。

《山をバックに》
京急線は南太田以南ではトンネルも点在する地形になり、小高い山や丘も沿線にみられます。
 そのなかで、山をバックに撮影できるポイントとして、神武寺駅に注目しました。この画像は、京急800形の乗務員室仕切窓越しに新逗子行5000形を撮ったものです。狙っていたというよりは、たまたま撮影できたようなものです。架線柱が気になりますが、うまいこと山を背景にした写真が撮れました。
撮影は1994(平成6)年7月5日、5000形にとっては最後の夏となる季節でした。

▼5101-5104は1968(昭和43)年5月泉岳寺-大門間開業向け4次車で登場(日本車輛製造)、1995年4月28日廃車。

《日中も逗子線内を走った21T》
新逗子(1981年ー1985年間は逗子海岸)まで乗入れる運用では、折り返しでそのまま都営線まで戻る運用だけでなく、神奈川新町までの京急線内急行運用につくことが、よくみられました。
ところが、この21Tは、都営線からの直通運用とは無関係に新逗子までの運用に入り、神奈川新町ー新逗子・金沢文庫ー新逗子の急行運用に充当されていました。そのため、北総・京成線からの新逗子行が朝のうちに折り返していくのに対して、21Tは日中でも逗子線内を走っていました。

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