2008年5月25日 (日)

【5300形画像】 京急線黄金町駅

※今回紹介する画像は、既に【01】黄金町にて掲載済みの画像の再掲になります。

黄金町駅は、京急線では珍しい島式ホーム1本だけの駅です。横浜側の先端に立ちますと、下り列車がなだらかな右カーブを走ってホームに入線する様子が見られます。8両編成であれば編成全体が無理なく画面に収まる感じです。そこで5000形が引退する前に一度は撮っておきたいと思い訪問しました。1度目は逆光状態であったために、下り列車の撮影は諦めて、順光状態となっている上り列車を撮影しました。
再挑戦は冬の朝としました。太陽が夏よりも低い位置になるので、逆光にはならないだろうと思ったからです。こんな単純な思考だけで、再び黄金町駅ホームに立ってみれば、光が弱い状況でしたが、このくらいであれば撮影可能です。

Koganecho1_5313_35t

もっと列車が近づいたところで撮れば架線柱にかからずに済んだのでしょうが、ファインダーからのぞいているときは、これ以上待っていては画像から切れてしまうかもしれない、という心配な面も出てきて、結局このような画像になっています。
被写体の車輌に関するデータは、【01A】黄金町【01B】黄金町 2の本文を参照してください。

Koganecho1_5320_43t

こちらは上り列車と重なってしまいました。これでは、この位置で撮る意味があまりないと感じてしまいます。

Koganecho2_5311_43t

こちらが、1度目の黄金町訪問時に撮影したものです。下り列車は撮影断念した分、上り列車では順光状態です。

ここでは、下り列車とすれ違うときも考慮して待ち構えていましたが、幸い下り列車が通り過ぎた後にやって来ました。

太陽光線がよすぎて行先表示が見にくいのですが、この列車は急行 新町行です。新逗子まで運転後、神奈川新町行となって、一旦車庫に入庫、しばらく停車の後、子安駅から営業運転を再開します。
車両に関するデータは、【01B】黄金町 2の本文を参照してください。

逗子直通運転の列車の歴史は、概説カテゴリーで紹介しています。【逗子直通急行に関して】(1)【逗子直通急行に関して】(2)【新逗子発千葉ニュータウン行】【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】を参照してください。

《最後に》
5300形営業運転中の画像の紹介は、今回で終了です。
意識せずに撮っていたものばかりですが、その画像には現在見ることができない行先表示・急行列車の姿が記録されていました。5000形撮影の練習や5000形がやってくるまでの合間に撮ったものが、年月の経過とともにひとつの記録になります。

反面、5300形が飛躍した1998年以降の記録は撮っていません。興味や関心が別のところに向いていたからです。ですが、ちょうどインターネットによるHPの開設が始まり、デジタルカメラの普及期にもあたることもあって、web上でエアポート快特や特急・快速での画像、京成上野へ向かっていたときの画像を拝見することができ、楽しんでいます。
 羽田空港~成田空港直結列車は、設定時の本数の少なさに当時は不安を感じていましたが、結果的には数年だけの試みに終わった形になっています。もう少し年月が経過して振り返ってみたときにも、1998年羽田空港駅開業時から1999年の新逗子直通急行列車廃止までのわずかな時期が5300形黄金時代とも表現されるような気がします。

話題にするのが早すぎることですけれども、5300形は短期間に大量に新車導入されています。そして21世紀に入ってからの、いわゆる大手の鉄道会社では、大量の新車導入による短期での車両置き換えが関東のJR・民鉄を問わず実施されています。(JR東海の113系等の旧国鉄車両の引退も急速でした) これらの状況をみますと、5300形が引退するとなったときには、4年かけて営業運転から撤退した5000形よりも、もっと短い期間で引退していくのかもしれません。

2008年2月29日 (金)

【5300形画像】 まずは紹介します

数枚の画像データを取り込んでから編集し直しますが、現時点で初公開画像となるものを紹介します。

<1>京急富岡
急行 新逗子発神奈川新町行です。今となっては見ることのできない急行列車の行先表示となりましたし、特急以上の優等列車しか充当されない現状では、富岡停車中の姿も見ることができません。ホームの背景に山が見えるので、地下鉄車両の組み合わせを楽しむ意図でこの場所を選びました。
撮影:1994年 5311編成 「43T急行 新町」 
1994tomioka_5311

<2>八広
現在のホームへの工事を始めた頃です。この画像を撮って、撮影向きの位置ではないと感じました。当時は普通に見ることができた「千葉ニュータウン中央」の行先表示です。
既に「いちょうマーク」の位置が前面扉上へ移動しています。
撮影:1995年 5302編成 「31T 普通 千葉ニュータウン中央」

02_23_23bc_2

<3>青砥
こちらも「千葉ニュータウン中央」行です。もう少しバックの景色にメリハリのつくときに撮影したいと思いつつ実現していません。

この記事では、唯一のロングスカート装備の後期型です。
撮影:1995年 5320編成 「31T 普通 千葉ニュータウン中央」
02_23_26bc

<4>国府台
意識すると気がつくものでして、この画像では「いちょうマーク」が前面窓ガラス上に貼付されています。そして乗務員室扉と客用扉の間に「いちょうマーク」がないのも確認できます。

「急行」円盤装着姿です。一時期は休日の急行列車運転も増加してきましたが、ここでも急行列車として見ることはできなくなりました。当時は珍しいとは思っていない光景でも、年月の経過で二度と見ることができないかもという光景になってしまいます。ネット上で過去に撮影した画像を紹介するようになってから感じるようになりました。

撮影:1992年 5303編成 「07T 急行 西馬込」

02_23_24bc_2

2007年9月16日 (日)

【07A】 神武寺 A

Jimmuji_5101_21t_940705 《横浜市金沢区を越えて逗子市へ》
神武寺は京急逗子線の終点新逗子の1つ手前の駅です。
 隣駅の六浦は横浜市金沢区、神武寺は逗子市内で、いよいよ終点に近づいた感のする駅です。駅そばに小高い山がそびえ、駅東側は米軍住宅の敷地ということもあって、駅ホーム周囲は静かな場所です。

都営車にとっては、逗子線は京急線への長距離乗入れ先でもあり、1981年以降10数年にわたり、逗子線でも活躍の姿が見られました。

《山をバックに》
京急線は南太田以南ではトンネルも点在する地形になり、小高い山や丘も沿線にみられます。
 そのなかで、山をバックに撮影できるポイントとして、神武寺駅に注目しました。この画像は、京急800形の乗務員室仕切窓越しに新逗子行5000形を撮ったものです。狙っていたというよりは、たまたま撮影できたようなものです。架線柱が気になりますが、うまいこと山を背景にした写真が撮れました。
撮影は1994(平成6)年7月5日、5000形にとっては最後の夏となる季節でした。

▼5101-5104は1968(昭和43)年5月泉岳寺-大門間開業向け4次車で登場(日本車輛製造)、1995年4月28日廃車。

《日中も逗子線内を走った21T》
新逗子(1981年ー1985年間は逗子海岸)まで乗入れる運用では、折り返しでそのまま都営線まで戻る運用だけでなく、神奈川新町までの京急線内急行運用につくことが、よくみられました。
ところが、この21Tは、都営線からの直通運用とは無関係に新逗子までの運用に入り、神奈川新町ー新逗子・金沢文庫ー新逗子の急行運用に充当されていました。そのため、北総・京成線からの新逗子行が朝のうちに折り返していくのに対して、21Tは日中でも逗子線内を走っていました。

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【07B】 神武寺 B (新逗子)

Jimmuji_5108_21t_2 

《新町は表示できるようになったけれど》
急行新逗子発金沢文庫行です。全駅各駅停車ですが、急行列車として設定され、列車にも「急行」表示がなされます。

ところが、5000形の行先表示幕には「文庫」あるいは「金沢文庫」「新逗子⇔文庫」の設定がなく、このように行先名なしの急行列車で運行されています。途中3駅停車の列車ですから、案内放送等でフォローできるものと思われます。

都営車には「成田空港」・「戸越」等、頻繁に使用されることのない行先表示が複数用意されていたのに、撮影当時毎日使用する行先表示「文庫」がないのです。
以前も神奈川新町行の行先表示の設定がなく行先表示幕が白幕のまま、運転室内部(正面向かって左の窓内側)に「神奈川新町行」の札を掲げて運行されていました。その後、電動幕化の際に「新町」は挿入されたものの、「文庫」は設定されず、また短区間運行の故かサボの掲出もなく、このような白幕となったようです。

▼5105-5108は1968(昭和43)年5月泉岳寺-大門間開業向け4次車で登場(日本車輛製造)、1995年4月28日廃車。

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2007年7月17日 (火)

【01A】 黄金町

Koganecho1_5097_23t 当ブログ最初の記事は黄金町駅撮影の画像を選びました。黄金町は京急線内では珍しい通過線のない島式ホームの駅、下り列車は右カーブでホームへ進入するので、その様子はホームからの撮影向きです。

当時平日朝3本が川崎を越えて新逗子まで直通運転をしていました。この3本は急行列車として連続で運転されていたので、短い時間で撮影を済ませられる利点がありました。
(黄金町駅停車 8:12  8:24  8:35)

この画像は1994(平成6)年冬の撮影です。1995(平成7)年7月には営業運転が終了してしまうまで約半年という時期です。1991(平成3)年から投入が開始された5300形も車両数が揃ってきていました。この時期にはもはや3本共5000形ということは望めず、どれか1本でも5000形ならば御の字でした。

幸い3本中1本が5000形でした。光量が足りないなか、なんとか捉えることができました。
当日5000形使用は3本目の23T、新逗子からは千葉ニュータウン行のロングラン運用に就きます。
逗子線直通列車に関する補足はこちらへ。
▼5097-5100は1968(昭和43)年5月泉岳寺-大門間開業向け4次車で登場(日本車輛製造)、1996年1月10日廃車。

(撮影日を失念していますが、京急空港線8両編成運転開始の1994(平成6)年12月以降の冬の朝の撮影です。)

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【01B】 黄金町 2

5148_koganecho_23t 《定番アングルながらも夏空を入れて》
黄金町駅ホームからの撮影といえば、上り列車の進入を狙うアングルの写真をよく見ます。自分も挑戦してみました。

この時期、23Tは朝の新逗子直通都営車急行3本中1本だけの6両編成所定運用でした。ですからステンレスカーの5200番台が使用されることはあっても2編成だけですから、5000形使用の可能性が高い運用でした。
新逗子発千葉ニュータウン中央行に関する補足はこちら。

もう少し側面も入る写真の方がよかったのかもと今は思っていますが、撮影当時は、できるだけ正面から狙うように構えていました。

撮影日は平成6年7月5日です。真夏らしい空の下で、窓下の赤帯がまっすぐ伸びている様子を撮れました。

この列車の黄金町駅発は9:47、対して下り普通列車は9:46発、タイミングによっては被られる可能性が高いだけに、待っているときは下り列車の動向が気になっていました。うまいこと撮影できました。

▼5145-5148は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業時の5次車で登場(ナニワ工機製造)、1995年9月21日廃車。

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2007年7月16日 (月)

【逗子直通急行に関して】(1)

現在都営車が新逗子へ乗り入れる運用は特急だけになりました。ところが5000形が健在だった頃、長期間にわたり平日朝3本だけの逗子線直通列車が急行列車で運行されていました。自分が5000形を撮影していた頃も、「新逗子」行は注目の列車でした。

5000形が逗子線へ直通していたのは1981年-1995年までの14年間、80年代の一時期だけ休日日中に逗子直通急行が片道20本も設定されていましたが、京急線内運用を除けば、概ね平日朝3本直通列車の歴史でした。

この軌跡を簡単にまとめてみました。

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【逗子直通急行に関して】(2)

逗子線直通運用が増加した時代は長くは続きませんでした。
1988年改正で休日の新逗子行直通急行が一気に消滅、平日朝のみ直通の姿に戻ります。

そして、1991(平成3)年の北総・公団線直通運転開始と共に、新逗子ー北総・公団線直通列車が登場します。そして次第に8両編成化されていき、1994年末には3本とも8両編成運用が所定になりました。

5000形は翌1995(平成7)年7月に全車営業運転終了。直通運用は5300形が引き継ぐものの、1999(平成11)年7月ダイヤ改正で蒲田以南の急行列車の設定が廃止されたことで、都営車による逗子線直通急行の歴史も終わります。
その後は新逗子発特急1本が都営車5300形担当になりました。

ここでは、新逗子統合駅開業から5000形引退時までの歴史を振り返ります。

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【新逗子発千葉ニュータウン中央行】

北総開発鉄道(現北総鉄道)2期線(京成高砂~新鎌ヶ谷)開通と共に、都営浅草線とも直通運転を開始したのが1991(平成3)年3月31日です。このときは朝夕に都営浅草線西馬込への直通があるほかは、川崎への直通運転がメインでした。北総・公団線の電車はそれまでの新京成線松戸への直通運転に加えて、公団-北総-京成-都営-京急の5者直通運転も定期運行となりました。

このときから、1999(平成11)年7月31日のダイヤ改正までの僅か8年間に過ぎませんでしたが、新逗子発千葉ニュータウン中央行という5者直通を最大限に活用した列車が平日に設定されていました。逆方向の列車も含めて、この長距離列車は1-3本しか設定されない寡少な存在でした。

川崎以南での「千葉ニュータウン中央」と北総・公団線内での「新逗子」の行先表示を見る機会が少ない分、注目度も高まります。とくに行先文字の多い「千葉ニュータウン中央」は、京急線内の急行表示と急行灯点灯とあわせて、5000形撮影意欲が湧く列車でした。

ここでは、8年間に及ぶ新逗子発千葉ニュータウン中央行(印西牧の原行含)直通列車に焦点を当てて、その歴史をまとめてみます。5000形引退(1995年7月)後の動向も含めて記述します。

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【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】

こちらでは、都営車両を使用する新逗子ー都営/京成/北総線直通急行列車の歴史のうち、新逗子発北総線直通列車が一旦廃止されて5000形も用いられることがなくなった1995年4月改正より、京急蒲田以南の急行列車が全廃される(※)1999年7月改正までを取り上げます。(※正月箱根駅伝の川崎折返し・緊急時を除く)

1995年4月改正より、このロングラン運用に北総・公団車が新たに加わりました。その後も、ダイヤ改正毎に細かな変化がみられます。

特筆は北総線内発新逗子行が1本増加して4本体制にまでなること、一時期北総・公団車ではありますが、北総線内で「急行新逗子」の行先表示の列車が登場しています。

また、都営車を用いる京急線直通特急運用の絡みで新逗子→京成高砂が1本増加したこともあります。

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