【5300形画像】 京急空港線を走り始めた頃
2ヶ月以上も更新がないままになっていました。急に環境が変わったということではなかったのですが、ご無沙汰になりました。
今回は、1995年に京急蒲田~糀谷間で撮影した画像を紹介します。まだ5000形が現役の間に撮影練習も兼ねて出かけたときに撮ったものです。1994年12月にダイヤ改正はなかったものの、空港線内を8両編成での運転が可能になってから5300形が京急空港線へ乗入れるようになりました。
1993年4月~1994年12月の間は、都営車両による空港線乗り入れが実施されたものの、有効長の関係で最大6両編成という制約が伴ったことで、8両固定編成だけの5300形は乗り入れできませんでした。6両編成の制約は一時的であることは当初から明らかだったからでしょう、5300形の6両編成版は登場しませんでした。
行先表示の羽田は、現在の天空橋です。
5302号車の編成です。いちょうマークは既に前面窓上から貫通扉へ移動しています。いちょうマークが前面窓上部にあった期間は長くありませんでした。
編成の途中が切れてしまっています。撮影していたときはぎりぎりで収まるかと思ったのですが、現像してみたら切れていました。
そもそも架線柱の影が前面に写っています。
こちらは8両すべてが収まっていますが、編成全体が寸詰まりのような印象の画像になりました。車体の白さよりも、扉や窓枠の影になった部分が目立ってしまっていました。
5300形のLEDの点滅は間隔が短いのでしょうか。シャッタースピードを気にせずに走行写真を撮っても行先表示の文字は切れません。ただ、順光の影響は避けられず、種別表示の文字が判読できません。
《5000形への影響》
5300形が羽田まで乗入れ可能になったことで、5000形の存続理由がひとつ失われました。しかし、当時の心境は、8両編成の5000形が空港線でも見られることの喜びの方が大きかったです。
ただそうは言っても、5000形の充当機会は減少していたうえに、1995年4月のダイヤ改正以降は5000形が他線に乗入れる回数がますます減少していったように感じられました。
印西牧の原行の5000形を見たくて、何度か列車を待ってみたこともあったのですが、5000形の印西牧の原行を見ることはできませんでした。



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