2008年7月 1日 (火)

旧塗装姿の画像が掲載されました

☆5000形画像が掲載されました。
先々月の話になりますが、都営5000形画像を掲載した鉄道雑誌発行会社のブログがありましたので、紹介します。鉄道雑誌『Rail Magazine』を発行するネコ・パブリッシングのHP「鉄道ホビダス」内の「消えた車輌写真館」で、2008年5月23日付です。
アドレスは、ブログの2008年5月分となります。
http://rail.hobidas.com/photo/archives/2008/05/

解説文には、「乗り入れ三者(都・京成・京急)間の「直通車輌統一規格」に基づき設計・製造されているが、車体等に当時の花形、営団500系との類似・共通点が見られる。」とあります。塗装は異なるものの、登場当時インパクトの大きかったに違いない丸ノ内線用車輌に似た外観をしています。これは大阪市営地下鉄1200・5000形にもいえることで、当時の地下鉄車輌の流行したデザインともいえるでしょう。

被写体の車輌は、オリジナル塗装の京成線直通急行列車に充当されている姿です。 5000形の塗装変更は時間をかけて行われましたが、京成線直通急行運転に用いられるようになったのは1983(昭和58)年改正で、塗装変更から2年後の実施です。そのうえ、京成線急行への充当本数は大変少ないものですから、旧塗装だけの編成にあたる確率は高くはありません。そういった意味では、掲載写真はとても貴重な記録です。

旧塗装の京成線直通急行列車は、目撃したことはあっても撮影したことはありません。当時は同じ編成が何度か京成線直通急行列車で往復しますので、編成のチェックができれば、数回撮影することができました。

さて、この写真は、青砥駅下り列車ホームから撮影したもので、ほぼ同時に出発した上野発の列車も写っています。小さく写っていますが、3100形の大和田行とみました。行先標識板のデザインと3文字表示らしい点から判断しています。

前述のように、都営車の急行列車は多くありませんから、普通大和田行の発車時刻との照合で、被写体の列車の撮影時刻が特定できるのではないかと思い、当時の時刻表を取り出して確認してみました。(続きは次回に)

紹介したブログでは、都営5000形は過去に2回紹介されています。
【1度目】 2007年5月22日 5113号車を先頭にした6両編成 29T 川崎行 新塗装 1988年撮影
【2度目】 2007年7月6日 車輌番号・運行番号不明 20周年ヘッドマーク装着車 川崎行

2008年2月29日 (金)

【5300形画像】 まずは紹介します

数枚の画像データを取り込んでから編集し直しますが、現時点で初公開画像となるものを紹介します。

<1>京急富岡
急行 新逗子発神奈川新町行です。今となっては見ることのできない急行列車の行先表示となりましたし、特急以上の優等列車しか充当されない現状では、富岡停車中の姿も見ることができません。ホームの背景に山が見えるので、地下鉄車両の組み合わせを楽しむ意図でこの場所を選びました。
撮影:1994年 5311編成 「43T急行 新町」 
1994tomioka_5311

<2>八広
現在のホームへの工事を始めた頃です。この画像を撮って、撮影向きの位置ではないと感じました。当時は普通に見ることができた「千葉ニュータウン中央」の行先表示です。
既に「いちょうマーク」の位置が前面扉上へ移動しています。
撮影:1995年 5302編成 「31T 普通 千葉ニュータウン中央」

02_23_23bc_2

<3>青砥
こちらも「千葉ニュータウン中央」行です。もう少しバックの景色にメリハリのつくときに撮影したいと思いつつ実現していません。

この記事では、唯一のロングスカート装備の後期型です。
撮影:1995年 5320編成 「31T 普通 千葉ニュータウン中央」
02_23_26bc

<4>国府台
意識すると気がつくものでして、この画像では「いちょうマーク」が前面窓ガラス上に貼付されています。そして乗務員室扉と客用扉の間に「いちょうマーク」がないのも確認できます。

「急行」円盤装着姿です。一時期は休日の急行列車運転も増加してきましたが、ここでも急行列車として見ることはできなくなりました。当時は珍しいとは思っていない光景でも、年月の経過で二度と見ることができないかもという光景になってしまいます。ネット上で過去に撮影した画像を紹介するようになってから感じるようになりました。

撮影:1992年 5303編成 「07T 急行 西馬込」

02_23_24bc_2

2007年11月18日 (日)

【08A】 京成八幡

08_28_23 《京成線内の島式ホーム》
当時京成中山駅近辺に住む友人宅へ向かう際に、普通列車への乗り換えも兼ねて、八幡駅で5000形を撮影したものです。京成線内では珍しい島式ホームの駅という以外に特色もない光景ですが、せっかく5000形を撮影できるのだからと、時間を合わせて撮ったものです。

線路の間の架線柱や信号機器がなければ、もう少し車両の側面も入れた撮影をしたかったのですが、下見せずに現地に立ってみたら、正面がちに撮るしかないということになりました。

京成八幡駅は駅前に京成百貨店がある、特急列車も停車する主要駅です。現在は都営新宿線本八幡駅との接続をしています。

京成線では、有料制でない優等列車はもれなく八幡に停車していたのに対して、並行するJR総武本線の本八幡駅では快速列車は通過しています。反対にJR快速が停車する市川に近接する市川真間を京成の特急は通過しています。この対照的な停車駅の設定は幼い頃から興味がありました。

08_28_12

《どこかのんびりした雰囲気が》
発車直前に1枚撮ってみました。影が多いですが、並走するJR総武本線の駅との規模の違いを感じるホームの様子です。

朝夕ラッシュ時以外の時間帯ばかりの私の体験ですが、八幡は特急停車駅であるにも関わらず、大勢の乗客が乗り降りする様子は見られませんでした。この画像からも賑やかさは感じられず、どこかのんびりした雰囲気があります。

《休日に多かった都営車急行》
撮影当時、平日は2本の編成が各々1往復するだけの都営車使用の急行列車も、休日ダイヤになると都営車使用の急行列車が増加しました。増加した理由は未確認ですが、都営車の京成線内急行列車を楽しみたければ、休日が狙い目でした。1991年3月のダイヤ改正当時は5000形8両編成が主力の休日の急行運用も、5300形の投入されていくにしたがって、次第に5000形の姿が見られなくなっていきました。
概要ですが、京成車直通急行運用の歴史はこちらへ

▼(西馬込寄) 5117-5120は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業時の5次車で登場(近畿車輛製造)、1994年8月26日廃車。

▼(成田寄) 5141-5144は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業時の5次車で登場(ナニワ工機製造)、1994年8月26日廃車。
同日に上記の8両だけが廃車になっていますので、撮影後もこの2編成併結の8両編成で運用に就いていたものと思われます。

続けて、京成車だけの構成ですが、当時よく下車していた京成中山駅で撮影した画像を紹介します。

(1993(平成5)年2月14日撮影)

2007年8月18日 (土)

【04】 京成大和田

Oowada_5121_29t_1 車両がとりわけ小さく写っている画像からの紹介で失礼します。大和田駅へ向かってくる「急行 西馬込」行を撮りました。

《築堤の上を行く地下鉄電車》
高架線の少ない京成線内で、電車が築堤上を走る姿を、離れた位置から眺めるのはいいものです。青電以降の歴代の塗装には赤系統の色が用いられていて、それが電車の姿を遠くから目立つものにしてくれます。
京成電車に似たカラーを採用した都営車も同じです。塗装変更後も、赤帯1本が遠くから映える存在です。

大和田駅の佐倉・成田方は、築堤に加えて、折返用の引上線があるために、線路敷が通常の複線よりも広がっています。それもあって、広がる光景を記録したいと思って撮ったのですが、先頭車にかかる電柱が色違いということもあって、目障りな存在です。

そもそも、シャッターを押すタイミングを、先頭車が左カーブを終えたあたりで狙ったほうが、もっと編成全体が綺麗に収まったのかもしれません。ただ、このときは、長く伸びる8両編成を捉えることにこだわり、電柱と電柱の間に前面が来たときに撮ることに執心していました。

この日は、29Tに5000形が充当されているのを確認して、成田行を撮影後、大和田へ移動して待ち構えました。1991年(平成3)年の北総線直通運転開始後は、もともと少ない本数がさらに減少していた、平日の京成線直通急行運用でした。

Oowada_5121_29t_2 大和田駅へ到着します。
対向列車もなく、いい感じで撮れているのですが、かなりぶれてしまっています。

無理やり補正をかけています。

左に見える引上線は長らく普通列車の折返し用でしたが、40年近く前には優等列車の折り返しもありました。 

 1968(昭和43)年5月の改正(都営浅草線泉岳寺延伸開業は翌月の6月)で、大和田ー大門(6月21日からは泉岳寺)を結ぶ急行列車が設定されました。列車は、この引上線を利用していたものと思われます。
ただし、同年11月の西馬込延伸開業時の改正で、急行列車の運転区間が西馬込ー佐倉と両端が延伸された形となり、大和田折返しの設定は数ヶ月の短期間のものとなりました。

▼5121-5124は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業向け5次車で登場(近畿車輛製造)、1995年10月14日廃車。
(1995(平成7)年3月撮影)

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2007年7月17日 (火)

【02】 四ツ木

Yotsugi_5108_23t 京成押上線四ツ木駅です。
都営・京成の境界駅押上にも折り返し運用があるものの、朝夕は主に京急車が折り返すので、都営線を走ってきた都営車は概ね京成押上線も走ります。それゆえ朝ラッシュ後半くらいからの四ツ木駅撮影は、都営車ウォッチに向く駅です。

四ツ木駅は駅舎が押上寄りにあり、平日朝ラッシュ時間帯以外はホームが賑わうこともないので、ホームの青砥寄りで立てば、気兼ねなく滞在することができました。

5000形引退後、本格的に画像奥の橋梁新設工事と駅移設工事が行なわれたため、ここの光景も大きく変わっています。

1995(平成7)年3月2日撮影の8両編成23T、新逗子発千葉ニュータウン中央行のロングラン列車です。新逗子を9:17に出発、四ツ木は11:08、千葉ニュータウン中央には11:45到着と2時間半近くかかりました。

▼5105-5108は1968(昭和43)年5月泉岳寺-大門間開業向け4次車で登場(日本車輛製造)、1995年4月28日廃車。

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2007年7月16日 (月)

【都営車の京成線直通急行】

ここでは、都営車による東中山以遠の京成線直通列車(以下、「京成線直通列車」。)について、スタート時の1983(昭和58)年10月1日ダイヤ改正から5000形が引退する1995(平成7)年までの間の動きを書いてみます。

自分の記憶では、特段のきっかけもなく、突然都営車による京成線直通列車の運転が始まりました。都営車の京成線乗入れ区間は長らく東中山まででしたので、津田沼や八千代台でも都営5000形が見られることが可能となり、大いに喜びました。1983(昭和58)年10月1日改正で京成成田までと乗入れ区間が大幅に伸びたのです。

そして、1991(平成3)年3月改正では8両編成も登場すると共に、いよいよ旧成田空港駅である東成田駅まで乗入れ区間が延伸されます。

一度設定された京成線直通列車運用は、歴代のダイヤ改正で途切れることはなく、1995(平成7)年7月の「5000形さよなら運転」も京成線直通急行列車で運行されました。

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