2009年6月17日 (水)

【京成高砂】 1985年10月に撮影したもの

更新が滞っております。
勝手ながら、今回はコメントの受付はありません。

今回は写真の掲出のみで、被写体となっている車両番号や車両の履歴、列車の行先などの詳細は省きます。遠くないうちに改めて紹介させていただく際には、少しは解説らしきものも加えますので、よろしくお願いします。

京成ではニュースカイライナーの登場とともに、3300型がリバイバルカラーとなったとのニュースも入り、車両面で話題が相次いでいます。今月発売の鉄道雑誌『鉄道ファン』表紙は京成ニュースカイライナーです。京成電車が同誌の表紙になる機会は少なく貴重です。

京成HPの企業情報を見てみますと、創立日が明治42年6月30日でした。明治42年は1909年なので、今年の6月末に創立100年を迎えることになります。社名は変更していますが、戦時中も他社に合併されることもなく、京成の商号を守ってきています。
 
今回は京成100年との直接の関連はありませんが、節目のときにあわせて京成電車の画像をまとめて並べてみようと思いました。
(本編の構成が煮詰まっていることの苦し紛れでもありますが‥)

掲載する画像は1985(昭和60)年10月4日、平日早朝に京成高砂駅で撮影したものです。 (開校記念日でお休みだったのです)  高砂~青砥間の複々線が完成したダイヤ改正直後の時期になります。通勤特急が運転を開始し、都営車の東中山以遠成田方面乗り入れの本数が増加しています。画像には白黒フィルムで撮影されたものが含まれています。(画像をクリックすると表示される数字に意味はありません)

まだ赤電の冷房改造車は少ない頃でした。11_28_33h_2

都営車は旧塗装車の姿がまだ日常的に見ることができました。
行先表示は既に「西馬込」へ変わっています。

11_28_31h_2

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2008年7月29日 (火)

【京成赤電】 1991年3月 めくり板使用車

※タイトルを変更しています。京成電車の画像は右側⇒にリンクを置いた「撮影した京成電車」アルバムに24枚掲載しています。また下記新着記事にも京成車の画像を掲載しています。(平成21年6月)
平成21年6月17日に1985年秋に京成高砂駅で撮影した画像を掲載しました。

めくり板と表現しましたが、行先表示板のことです。通常行先表示板は行先毎・運転区間毎に板が用意され、起終点駅で板を取り替えたり、表裏を返したりすることで、別の行先を表示していました。ところが京成電車では、使用するほぼすべての行先表示を車両に常備して、上下2枚に分かれた板をめくることで、様々な行先に対応していました。首都圏では東武東上線の7300・7800系列が同じめくり板を装備していました。

めくり板は戦前から採用されており、行先駅名周囲の装飾も当時のものが戦後もずっと使われていたのです。これは驚きでした。「上野」といえば文字の部分が三角形となるような色入れが一環してなされていました。

そのめくり板も、1991年3月末に3000形14両と3050形2両の8両編成2本の合計16両が営業運転から引退したことで、常備車が消滅しました。
camera1991年3月19日京成成田駅にて 新(現行の)成田空港駅開業日に、月末で引退した3000・3050型が特急列車に用いられていました。背景には当時の新車の3700型の姿
910319_narita_3008

この顔の電車はファイヤーオレンジ塗装の方が期間が長く、私もこの姿で見慣れていました。現在、種別表示板は京成3500形未更新車で現役で用いられていますが、普通列車専用となっているために、表示内容も「普通」ばかりになっています。行先表示板のほうは、非冷房車の消滅と同時に装備車両がいなくなりました。

※当記事当初は冒頭に記載していた文章(記事の趣旨に合わなくなりましたので記事後半へ移動しました。

予告時は、今年前半に紹介を終えるつもりでいましたが、結果的には上半期が終わろうとするときになってやっと始まりました。大変遅くなり恐縮です。これは都営5300形画像紹介を優先し、さらに途中更新を中断したことによります。都営5300形画像掲載を優先したのは、2月のマイクロエースからの5300形製品の発表直後から、5300形をキーワードに検索して訪問される方が増えてきたためです。おかげさまで、アクセス数も増加しています。

紹介内容は下記の予定です。1)最後のめくり板使用車 2)3150形の種別板 3)これが最後に撮影した未更新顔車輌 4)当時は主力の急行列車 5)塗装変化 6)試験塗装車 7)3500形未更新 8)京急線内の京成電車

2008年1月20日 (日)

【09】 白井

前回の北総線は、第2期線の大町を【03】で紹介しましたが、今回は最初に開業した区間にある白井を紹介します。撮影は駅ホームではなくて、小室寄りにある橋周辺で撮影したものです。
今回紹介する画像では、車両が小さく写っているために車両番号は判読できませんでした。

《ニュータウン内を、高規格道路と並走する光景》
大阪の千里ニュータウンを走る北大阪急行や、泉北ニュータウンを走る泉北高速鉄道(大阪府都市開発)で見られる道路の中央を高速鉄道が並走する光景は、未来の鉄道のような感覚があって憧れでした。千葉ニュータウン内の道路予定地のような空き地の中央を北総線電車が走る様子を見ては、千葉県でもいずれ実現するだろうと大いなる期待を持っていました。

ところが、期待に反して、開業して10年以上経過しても線路の両脇は空き地のまま、工事に着手する雰囲気すらありません。しかし、このような光景は逆に珍しいものであり、これまで都営5000形が走行していた区間でも見ることはできなかったものでした。そこで、一度は5000形が走る様子を撮っておこうと思ったのです。

Shiroi_5000_1994_2

西白井ー白井間の、国道464号線と並行して神崎川を渡る様子を撮ったものです。画像の奥へ向かう方向が白井・千葉NT方面です。 
 高規格道路の中央を走る鉄道の光景を意識して、周囲の様子もできるだけ取り入れて~なんて意図していますが、ニュータウンらしい建物が入っておらず、車両が小さく写っているだけの画像になっています。

橋といっても鉄橋ではなくて見た目にはコンクリートの側壁が追加されているだけのようなものです。車両の前面くらいは側壁にかからない位置で撮っておけばよかったです。

 国道464号線には信号が少ないこともあって、走行する車の速度も速め、通過台数が多くなくても電車にかかっては面白くないので、列車を待つ間は車のことがずっと気になっていました。路面電車であれば大抵は1-2両の長さで済みますが、ここでは6両編成100mを越す長さです。列車の運転間隔20分と長いこともあり、被りの発生は避けたかったです。

 この画像では小さく写っている接近中の車も、ファインダー越しには、もっと接近しているように感じられました。

《撮影位置を改めて紹介》
撮影位置を勘違いして公開してしまいましたので、改めて道路地図を参照しながら書きます。ここは白井市根という住所で、背景に写る場所は地図ではニュータウン未開発地です。そして、背景で小さく線路を横断しているのが千葉県道189号千葉ニュータウン北環状線の陸橋と思われます。(線路と直交しているように見えるので、北総線を斜めに横断する木下街道の白井大橋ではないと思います)。

画像手前は国道464号線の西白井方向車線です。この画像のさらに右方向には、日本中央競馬会競馬学校や京葉瓦斯白井供給所のガスタンクがあります。

電車のバックの背の高い建造物は、千葉県水道局の白井高架水槽です。(間違っていないと思います‥)
白井高架水槽に関しては、ブログ「癸卯雑識」さんの2008年1月掲載の白井に関する記事を参照しました。ありがとうございました。
癸卯雑識」は、給水塔系サイト「 ALL ALONG THE WATERTOWER」の管理人K.T.さんが開設しているブログです。

Shiroi_3200n_1994

《京成車も日中に北総線走行》
撮影をしたのは1994(平成6)年の夏、羽田駅乗り入れが6両編成限定の頃でしたので、日中に5000形・京成車・京急車の6両編成が走り、逆に6両編成を用意していない北総・公団車や都営5300形を見る機会が少ない時期でした。

画像の京成車は全車両が現行塗装へ変更済みです。ファイアオレンジ主体の前塗装に比べて、爽やかさも感じられて、この光景にも溶け込んでいる印象です。車両番号は確認できませんでしたが、パンタグラフ2基搭載車が含まれていますので、3200形の6両固定編成です。

3200形のうち、冷房改造で補助電源装置をSIVとした車両(先頭車)は、離線防止でパンタ2基搭載(SIV搭載先頭車の連結相手)となりました。反面パンタ撤去車(2台パンタ車の隣)もあるので、6両で3基のパンタを搭載し、うち1両が2基搭載車でした。3300形は3200形よりも早期に冷房改造が実施されたので、2基パンタ装備車はいません。

3200形は、4両固定編成で登場していて、1985年~1988年の更新時に3221~3280の60両で6両固定編成化が実施されました。
(稲葉克彦、「現有車両プロフィール2007」 モハ3200形、『鉄道ピクトリアル』No.787 2007年3月臨時増刊号 【特集】京成電鉄 P216)

Shiroi_3200r_1994 《道路と線路の間の空き地》
白井ー小室間に移動して撮影しました。道路と並行して二重川(ふたえがわ)を渡る様子を撮ったもので、電車は千葉ニュータウン中央行の京成車です。

こちらも道路地図を参照しながら書きます。橋で超える二重川が白井市と船橋市の境界になっています(小室駅は船橋市内の駅です)。川向こうの電車の奥の緑地が小室4号緑地になります。背景の道路橋は国道424号線の東方向車線に架かる法目(ほうめ)北大橋で、次の画像の右手に写っているのが西方向車線の小室南橋です。
 
バックの送電線が物々しい雰囲気です。この画像では見えませんが、右方向(南東の方角)に、東京電力新京葉変電所があります。

この画像で道路(国道464号線)と北総線の間隔が掴めます。高速道路が余裕で設置できるだけの空き地が線路の両側に伸びています。夏なので草の伸び方も元気です。

《塗装変更進行中》
この編成は塗装変更未施行の京成車です。前の画像と同じ日の撮影で、当時の京成車は新旧塗装の混在時期、なかには固定編成中の一部の車両だけ塗装変更が行われた混色編成もありました。そして、この編成もパンタ2基搭載車が含まれているので3200形です。

車両の横の電線が目障りなのですが、うまく処理ができませんでした。

Shiroi_1000_1994

《京急電車が北総線を快走》
このときに撮りたかった車両です。京急(旧)1000形、京急の主力車両としての地位はまだ不変で、浅草線内でも普通に走っていた頃でした。

北総線の高砂までの延伸開業から、公団線も含めた5者直通運転が開始されたものの、京急車だけ使用されませんでした。ところが、京急空港線へ6両編成限定での直通運転開始時から、京急車が羽田~千葉NT中央の列車に用いられるようになったのです。

京急車が北総線内を走るのは、京急空港線6両編成限定の時期だけになるかもしれないと予想したことも、撮りたかった理由です。

実際空港線の6両編成制限が解除された後に実施された1995(平成7)年4月のダイヤ改正で、京急車の北総線乗り入れは一旦消滅しました。予想通りと思ったものの、3ヵ月後には京急車の北総・公団線乗り入れが復活、その後も継続して京急車が北総線まで乗り入れています。ただ、京急車の6両編成が北総線内で使用されることはないでしょうから、この光景も今では思い出になっています。

車両番号は不明ですが、分散式冷房装置搭載車です。

2007年11月17日 (土)

【08B】 京成中山

08_28_13 《構内踏切のある駅、京成中山》
1990年代前半頃、下総中山に住んでいる友人(男性)宅に訪問するのに、乗り換えの楽な京成電車利用でも出かけていました。その際に撮った画像を紹介します。

※この記事には都営車の画像はありません。

構内踏切があるからレトロというわけではありませんが、構内踏切のある駅のもつ雰囲気には、鉄道ファンとしては趣深いものを感じます。

中山駅の場合は、駅部分だけでなく駅周囲の街の雰囲気も昭和30年代そのままといっていいのでしょうか、京成電車であれば、この画像に青電を置いても違和感を感じないことでしょう。中山法華経寺の門前町の風情がいい感じです。

Wikipedia「京成中山駅」に掲載されている駅の画像(2005年撮影)と比べますと、下りホーム(船橋方面)では踏切部以外に上屋がないのに対して、現在ではホームの長さ半分程度の上屋が設置されています。
撮影時点では一時的に上屋が撤去されていたのでしょうか。確認不十分です。

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2007年9月16日 (日)

【06】 五反田

Gotanda_5029_33t 《やむなく五反田で迎えることに》
今回は、北総開発鉄道との相互乗り入れ開始初日の1991(平成3)年3月31日に撮影した画像を紹介します。
 当日は残念ながら、高砂ですら現地訪問する余裕がありませんでした。そこで、当時住んでいた目黒に最も近い五反田駅ホームで撮影することにしました。

とは言うものの、地下駅での撮影は不慣れでして、当時所有していたコンパクトカメラ持参です。撮影はフラッシュを使っていますが、最後部車を狙い、車掌さんのドア開閉時とならないように気をつけました。   最後部であれば、五反田駅は階段やトイレとも無縁で人通りがなく、撮影向きの位置でした。この日は日曜日、人出の少ない早朝からの訪問です。

《表示方法は如何に!「千葉ニュータウン中央」行》
この日から北総・公団線へ乗り入れる都営車と京成車が「千葉ニュータウン中央」という文字数の多い駅名を、どのように表示するのか?それを確認することが早朝訪問の最大の目的でした。これまでの5000形での行先表示は最大4文字でした。(「東日本橋」「成田空港」成田空港は使用実績はないと思われます)

京成線には「千葉中央」が存在しますので、京急線お得意の省略表示(神奈川新町を「新町」)もできないはずなので、どのようにするのだろうと思っていました。
 そこへやって来たのが、この行先表示です。ニュータウンを2段表示に脇を漢字2文字ずつに収めるという、窮屈ながらも「千葉中央」との違いもわかりやすい表示となりました。 ちなみに京成車の場合はこちらへ。

1991(平成3)年3月31日6:29撮影 休日の33Tは6両編成で、西馬込6:22発千葉NT7:46着の運用からスタートし、千葉NTー川崎間を4往復。千葉NT21:21発西馬込22:43着の後、さらに泉岳寺まで1往復してから西馬込着23:24で入庫でした。 休日の西馬込発千葉NT行都営車では33Tは2本目、1本目は西馬込5:27発の13Tでした。(初発には間に合いませんでした)

1991年3月改正時の、北総線直通休日ダイヤに関してはこちらへ

▼5029-5030は1962(昭和37)年5月浅草橋-東日本橋間開業向け2次車で登場(ナニワ工機製造)、1994年6月29日廃車。

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【千葉ニュータウン中央の行先表示】

Yotsugi_3113_91k_newtown  《京成車の場合》
“ニュータウン”を大きく、“千葉”と“中央”は読み取れない程小さな文字で表示していました。

京成線には1987年4月に「京成千葉」から改称した「千葉中央」があり、行先表示としても頻繁に表示されていました。場所は大きく異なるけれども、混同防止を図ったものと思われます。

3113号車 四ツ木駅

北総線乗り入れ開始当初、京成赤電スタイルの前面を保つ3100形も、4両2本連結の8両編成で運行されていました。

京成赤電のうち、前照灯の位置を窓下に下げる更新工事をした3150形は、後に北総へリースされましたが、3100形は北総へリースされることはなく、北総カラーの3100形は登場しませんでした。

Yotsugi_5101_23t_newtown

《都営車の場合》
“ニュータウン”を2段表示として、“千葉”と“中央”を両脇で固める表示方法をとりました。

5000も5200も文字の配置は同じでした。5200の側面は‥確認するのを忘れました。

5101号車 四ツ木駅

2007年8月18日 (土)

【05】 平和島

Heiwajima_5128_15t_940527   《「デハ712のデジカメ日記2007」に連動してみました》

平和島駅へ到着する川崎発北総線直通 「急行千葉ニュータウン中央」行です。

京急・京成をはじめ、首都圏の列車画像を豊富に紹介しているブログ「デハ712のデジカメ日記2007」では、8月に入ってから、朝の平和島駅での撮影画像を多く紹介しています。
お世話になっているデハ712さんからは、先日コメントをいただきました。ありがとうございます。そこで、お礼の意味も込めまして、私が平和島駅で撮った画像を紹介します。

《撮影するチャンスが少なかった8両編成の北総線直通列車》
平日の早朝から5000形撮影に出かけ、新馬場駅で上り列車を撮った後、平和島駅へ移動して捉えたものです。

撮影した1994(平成6)年当時、平日の日中と休日の北総線直通列車は、6両編成限定の空港線羽田駅発着だったために、京急線内で8両編成の「千葉ニュータウン中央」行を撮る機会は時間帯も含めて限られていました。

撮影当日の8両編成の千葉NT行の使用車両は覚えていませんが、2本目の15Tで捉えることができました。15Tの平和島発は7:11、下り普通列車が7:10でしたが、被られることなく編成全部が入りました。

このアングルは、夕方では逆光となるために、順光で撮るためには午前中の撮影となります。ところが、8両編成の千葉NT行は、休日午前はゼロ・平日午前でも3回しかありません。そのうえ、その限られた運用は5300形と5000形との共通運用ですから、5000形で撮れるチャンスはさらに少なくなってしまいます。

平和島駅 午前8両編成千葉NT行時刻表 1994(平成6)年4月1日改正
(平日) 05T 6:24    15T 7:11   13T 9:02   3本とも川崎始発
(休日) なし

▼5125-5128は1968(昭和43)年10月泉岳寺-西馬込間開業向け5次車で登場(近畿車輛製造)、1996年1月10日廃車。
(1994(平成6)年5月24日撮影)

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