2008年5月15日 (木)

【5300形画像】 北総線内上り急行列車

5300形画像の紹介をしていますが、改めて感じるのは急行列車の運転区間が減少していることです。京急・京成共に、都内だけの短区間の運転にとどまっており、急行以外の優等列車が通過するための対策で残されているようにもみえます。

そして、北総線でも上り方向(高砂方面)の急行列車は現在設定がありません。
2001年のダイヤ改正で急行から特急への格上げという形で所要時間短縮を実現したときに、上り急行列車は消滅しました。下り方向の優等列車は、特急列車に格上げされることなく、急行列車のままです。

今回紹介するのは1枚だけ撮影していた、北総線内を急行運転している5300形です。急行灯は点灯しているものの、京成線直通急行列車とは異なり「急行」円盤は未装着でした。また駅の通過があるのは北総線内だけで、京成線・都営線内は各駅停車でした。
Matsuhidai_5300 5308号車の編成 松飛台駅を通過する19T 急行 西馬込行です。

北総線の優等列車は設定当初から都営車による運転もありました。5000形も、画像の5300形と同じ19Tに充当された姿は見ているので、北総線内を急行列車で走った実績はあるはずなのですが、撮影も目撃もしないままでした。
(19Tは1994年4月改正時より、北総線内急行列車運用を設定)

北総線の優等列車の設定年月日は、北総鉄道HPの会社概要サイトの会社沿革欄に記載されています。
1993(平成5)年4月1日   急行運転の開始
2001(平成13)年9月15日 特急運転の開始

また、北総線の優等列車の変遷に関しては、衆議院議員(千葉9区選出) 水野賢一議員のHP内のブログに触れた記述があります。(けんいちの主張 2001年8月17日付 特集:北総・公団線 -運賃、成田への延伸、ダイヤ改正 「速達性の向上について」参照)

北総線の優等列車の運転本数や歴史的変遷は改めて概説カテゴリーの記事で取り上げる予定ですので、ここでは撮影画像と参照サイトの紹介にとどめさせていただきます。

2008年1月27日 (日)

【09訂正】 白井

お知らせいたします。
1月20日に公開しました【09】 白井にて、4枚中はじめの2枚の撮影位置を勘違いして記載しました、橋を渡る様子の画像です。この2枚は、後半の2枚とは別の位置の撮影で、白井ー小室間の二重川を渡る位置ではなくて、西白井ー白井間の神崎川を渡るところでした。

本文も訂正したものを公開しています。失礼いたしました。

画像を見比べればすぐにわかることでしたが、送電線の位置がはじめの2枚と次の2枚とで全然異なるのに、同じ橋を撮っていたと解釈するとは情けないです。

画像の背景に写っている太い煙突のような高層建築物を、公開前まではニュータウン内の換気塔か煙突と思う程度でいました。今になって、送電線の位置関係が気になり道路地図を見直してみると、西白井ー白井間にも橋があることや、北総線の北側に記載されている千葉県水道局白井高架水槽なる施設に注目しました。検索してみたら、本文で紹介したブログ「癸卯雑識」さんの今月公開したばかりの白井高架水槽の画像を拝見、見比べてみて同じものだろうと判断したのです。

これで、現地に長年訪問していないままブログを作成していることが明らかになってしまいましたね。ご覧になっていた方で気になっていた方もいらっしゃると思います。今後は気をつけます。

2008年1月20日 (日)

【09】 白井

前回の北総線は、第2期線の大町を【03】で紹介しましたが、今回は最初に開業した区間にある白井を紹介します。撮影は駅ホームではなくて、小室寄りにある橋周辺で撮影したものです。
今回紹介する画像では、車両が小さく写っているために車両番号は判読できませんでした。

《ニュータウン内を、高規格道路と並走する光景》
大阪の千里ニュータウンを走る北大阪急行や、泉北ニュータウンを走る泉北高速鉄道(大阪府都市開発)で見られる道路の中央を高速鉄道が並走する光景は、未来の鉄道のような感覚があって憧れでした。千葉ニュータウン内の道路予定地のような空き地の中央を北総線電車が走る様子を見ては、千葉県でもいずれ実現するだろうと大いなる期待を持っていました。

ところが、期待に反して、開業して10年以上経過しても線路の両脇は空き地のまま、工事に着手する雰囲気すらありません。しかし、このような光景は逆に珍しいものであり、これまで都営5000形が走行していた区間でも見ることはできなかったものでした。そこで、一度は5000形が走る様子を撮っておこうと思ったのです。

Shiroi_5000_1994_2

西白井ー白井間の、国道464号線と並行して神崎川を渡る様子を撮ったものです。画像の奥へ向かう方向が白井・千葉NT方面です。 
 高規格道路の中央を走る鉄道の光景を意識して、周囲の様子もできるだけ取り入れて~なんて意図していますが、ニュータウンらしい建物が入っておらず、車両が小さく写っているだけの画像になっています。

橋といっても鉄橋ではなくて見た目にはコンクリートの側壁が追加されているだけのようなものです。車両の前面くらいは側壁にかからない位置で撮っておけばよかったです。

 国道464号線には信号が少ないこともあって、走行する車の速度も速め、通過台数が多くなくても電車にかかっては面白くないので、列車を待つ間は車のことがずっと気になっていました。路面電車であれば大抵は1-2両の長さで済みますが、ここでは6両編成100mを越す長さです。列車の運転間隔20分と長いこともあり、被りの発生は避けたかったです。

 この画像では小さく写っている接近中の車も、ファインダー越しには、もっと接近しているように感じられました。

《撮影位置を改めて紹介》
撮影位置を勘違いして公開してしまいましたので、改めて道路地図を参照しながら書きます。ここは白井市根という住所で、背景に写る場所は地図ではニュータウン未開発地です。そして、背景で小さく線路を横断しているのが千葉県道189号千葉ニュータウン北環状線の陸橋と思われます。(線路と直交しているように見えるので、北総線を斜めに横断する木下街道の白井大橋ではないと思います)。

画像手前は国道464号線の西白井方向車線です。この画像のさらに右方向には、日本中央競馬会競馬学校や京葉瓦斯白井供給所のガスタンクがあります。

電車のバックの背の高い建造物は、千葉県水道局の白井高架水槽です。(間違っていないと思います‥)
白井高架水槽に関しては、ブログ「癸卯雑識」さんの2008年1月掲載の白井に関する記事を参照しました。ありがとうございました。
癸卯雑識」は、給水塔系サイト「 ALL ALONG THE WATERTOWER」の管理人K.T.さんが開設しているブログです。

Shiroi_3200n_1994

《京成車も日中に北総線走行》
撮影をしたのは1994(平成6)年の夏、羽田駅乗り入れが6両編成限定の頃でしたので、日中に5000形・京成車・京急車の6両編成が走り、逆に6両編成を用意していない北総・公団車や都営5300形を見る機会が少ない時期でした。

画像の京成車は全車両が現行塗装へ変更済みです。ファイアオレンジ主体の前塗装に比べて、爽やかさも感じられて、この光景にも溶け込んでいる印象です。車両番号は確認できませんでしたが、パンタグラフ2基搭載車が含まれていますので、3200形の6両固定編成です。

3200形のうち、冷房改造で補助電源装置をSIVとした車両(先頭車)は、離線防止でパンタ2基搭載(SIV搭載先頭車の連結相手)となりました。反面パンタ撤去車(2台パンタ車の隣)もあるので、6両で3基のパンタを搭載し、うち1両が2基搭載車でした。3300形は3200形よりも早期に冷房改造が実施されたので、2基パンタ装備車はいません。

3200形は、4両固定編成で登場していて、1985年~1988年の更新時に3221~3280の60両で6両固定編成化が実施されました。
(稲葉克彦、「現有車両プロフィール2007」 モハ3200形、『鉄道ピクトリアル』No.787 2007年3月臨時増刊号 【特集】京成電鉄 P216)

Shiroi_3200r_1994 《道路と線路の間の空き地》
白井ー小室間に移動して撮影しました。道路と並行して二重川(ふたえがわ)を渡る様子を撮ったもので、電車は千葉ニュータウン中央行の京成車です。

こちらも道路地図を参照しながら書きます。橋で超える二重川が白井市と船橋市の境界になっています(小室駅は船橋市内の駅です)。川向こうの電車の奥の緑地が小室4号緑地になります。背景の道路橋は国道424号線の東方向車線に架かる法目(ほうめ)北大橋で、次の画像の右手に写っているのが西方向車線の小室南橋です。
 
バックの送電線が物々しい雰囲気です。この画像では見えませんが、右方向(南東の方角)に、東京電力新京葉変電所があります。

この画像で道路(国道464号線)と北総線の間隔が掴めます。高速道路が余裕で設置できるだけの空き地が線路の両側に伸びています。夏なので草の伸び方も元気です。

《塗装変更進行中》
この編成は塗装変更未施行の京成車です。前の画像と同じ日の撮影で、当時の京成車は新旧塗装の混在時期、なかには固定編成中の一部の車両だけ塗装変更が行われた混色編成もありました。そして、この編成もパンタ2基搭載車が含まれているので3200形です。

車両の横の電線が目障りなのですが、うまく処理ができませんでした。

Shiroi_1000_1994

《京急電車が北総線を快走》
このときに撮りたかった車両です。京急(旧)1000形、京急の主力車両としての地位はまだ不変で、浅草線内でも普通に走っていた頃でした。

北総線の高砂までの延伸開業から、公団線も含めた5者直通運転が開始されたものの、京急車だけ使用されませんでした。ところが、京急空港線へ6両編成限定での直通運転開始時から、京急車が羽田~千葉NT中央の列車に用いられるようになったのです。

京急車が北総線内を走るのは、京急空港線6両編成限定の時期だけになるかもしれないと予想したことも、撮りたかった理由です。

実際空港線の6両編成制限が解除された後に実施された1995(平成7)年4月のダイヤ改正で、京急車の北総線乗り入れは一旦消滅しました。予想通りと思ったものの、3ヵ月後には京急車の北総・公団線乗り入れが復活、その後も継続して京急車が北総線まで乗り入れています。ただ、京急車の6両編成が北総線内で使用されることはないでしょうから、この光景も今では思い出になっています。

車両番号は不明ですが、分散式冷房装置搭載車です。

【09補足】 白井

《羽田~千葉NT間 6両編成運転時代を紹介》
 先月、しろちゃんさんより戴いたコメントに、「いま気になっているのは、1993年4月からしばらく、6連で羽田~千葉NT往復していた頃です」とありました。恥ずかしながら、しろちゃんさんのコメントを拝見したときに、その時期の画像をメインに据えた記事をまだ作成していないことに気がつきました。
 そこで、今回の白井では、羽田~千葉NTを6連で運転していた時期の都営・京成・京急の各車両の様子を紹介してみることにしました。

もともと車両を小さく撮る傾向がある中で、とりわけ車両が小さく写っている画像ばかりで構成しています。周囲の景色とのセットでご覧いただければと思います。
 掲載画像選択のきっかけを作っていただいたしろちゃんさんに御礼申し上げます。ありがとうございました。

実はそれまでは、公開する季節に合わせて、冬に白井で撮影した画像を紹介する予定でいました。
Shiroi_23t_5081

最後尾が架線柱に重なってしまった画像ですが、8両編成の魅力を捉えたと自身は満足しています。
 冬に撮影した画像は、別の機会に紹介してみます。

《西白井で撮影した画像のほうが気に入っています》
1994年夏に出かけたときは、西白井駅よりさらに西側の地点から小室まで、徒歩で移動しながらの撮影でした。線路を越す陸橋が少ない場所を選びながらの撮影です。私は西白井で撮った画像のほうが気に入っています。

今回は数少ない5200形を写した画像を紹介します。ここも別の機会に改めて紹介してみます。
Nisishiroi_5207 最後尾車の車両番号が5207と読めました。8両編成への編成替えの際に余剰となり除籍となった車両です。

▼5200番台とも呼ばれたステンレス車両は、5000形第6次車として、5201-5212が6連固定2本で、1976(昭和51)年3月に製造(アルナ工機製造)、4月1日竣工
冷房化は、5201-5206が1989(平成元)年10月4日。5207-5212が1988(昭和63)年12月22日に実施。

5207 5208 5211 5212の4両は、1996(平成8)年9月3日廃車。
5201-5206と5209・5210で、1996(平成8)年12月27日より8両固定編成で営業運転開始

2000(平成12)年8月14日に、形式を5000形から5200形に変更。2006(平成18)年11月にさよなら運転実施後、全車引退。
(岸上明彦、「私鉄車両めぐり〔166〕 東京都営地下鉄」 浅草線、『鉄道ピクトリアル』No.704 2001年7月臨時増刊号 【特集】東京都営地下鉄 P157)


《千葉ニュータウン内の線路両側の空き地》
記事本文では「空き地」と記述して、○○予定地とは明記しませんでした。これは、未利用地に関する情報の整理や理解をするのが間に合わなかったからです。インターネットの検索や、以前に目を通した鉄道雑誌の記述などから、この未利用地部分には、北千葉道路・千葉県営鉄道・成田新幹線の予定地が含まれていることは掴みました。白井や西白井の空き地に、成田新幹線は含まれていないです。

ただ、北千葉道路の構想自体を把握していません。現在北総線に並走する記事本文でも写っている道路は、道路地図では国道474号線になっていますが、Wikipedia「北千葉道路」によれば、県道だったのを1993年に国道指定にしたとの記述がありました。北千葉道路とはいったいどのような完成図を描いて計画していたのか、現在の姿が目指す方向だったのか、もっとよく知りたいのです。

理解するのが間に合わなかったので、言葉を濁した形の表現をとりました。文献読みなどの確認作業を実行するのに時間がかかると思いますが、北総線開業当時から用途が気になっていた土地です。5000形の動向には直接関係はありませんが、長年の宿題として、是非把握してみたいです。

2007年9月16日 (日)

【休日ダイヤでみる北総ー都営線直通列車 1991年】

ここでは、1991(平成3)年3月31日より開始した京急ー都営ー京成ー北総・公団の直通列車のうち、休日ダイヤに限定して整理してみます。

この日は北総線2期線(新鎌ヶ谷ー京成高砂)の開通日で、それまでの新京成線松戸までの乗り入れ運転に加えて、京成高砂から更に都営線へ乗り入れる運転を開始しました。
 早朝・深夜を除き、京成高砂まで走ってきた北総・公団線列車は西馬込行か川崎行となり5者直通運転をしていました。そのなかでも、平日の朝夕以外は川崎行が基本となっています。休日でも西馬込発着の列車はありましたが、本数は少なく、西馬込発は朝4本・夜5本の9本、西馬込行は朝3本、夜8本の11本だけでした。

千葉ニュータウン中央(以下、「千葉NT」)発時刻をみますと、6:53発から19:12発まで約20分間隔の列車の全てが川崎行です。千葉NTー川崎間は片道おおよそ1時間30分、折り返し時間を含めた3時間20分を1つのサイクルとして、10編成によって運行されていました。

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2007年8月18日 (土)

【03】 大町

Oomachi_15t_19940531 北総・公団線の区間で最初に紹介するのは大町駅です。緑を背景にした、直線状に伸びる高架線を走る姿が印象的な場所です。

大町は、1991(平成3)年3月の北総線新規開業区間のうち、既開業区間の新鎌ヶ谷駅の西隣の駅で、新京成線の車庫のあるくぬぎ山駅(鎌ヶ谷市)とは南北約1kn程度離れた位置関係にあります。

駅の所在地は市川市ですが、松戸市と鎌ヶ谷市の境界も迫っており、駅北側はすぐ松戸市です。
 画像の背景の緑は、鎌ヶ谷市の鎌ヶ谷カントリークラブと思われます。地図で確認してみると、高架線と周囲の光景がミスマッチとすら思える理由がわかる気がします。

撮影したのは平成6年5月、開業後3年が経過していますが、まだまだ開業まもない鉄道という雰囲気を保ち、周囲は開発余地が多くあると感じられる場所でした。

▼5101-5104は1968(昭和43)年5月泉岳寺-大門間開業向け4次車で登場(日本車輛製造)、1995年4月28日廃車。
(1994(平成6)年5月31日撮影)

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2007年7月16日 (月)

【逗子直通急行に関して】(2)

逗子線直通運用が増加した時代は長くは続きませんでした。
1988年改正で休日の新逗子行直通急行が一気に消滅、平日朝のみ直通の姿に戻ります。

そして、1991(平成3)年の北総・公団線直通運転開始と共に、新逗子ー北総・公団線直通列車が登場します。そして次第に8両編成化されていき、1994年末には3本とも8両編成運用が所定になりました。

5000形は翌1995(平成7)年7月に全車営業運転終了。直通運用は5300形が引き継ぐものの、1999(平成11)年7月ダイヤ改正で蒲田以南の急行列車の設定が廃止されたことで、都営車による逗子線直通急行の歴史も終わります。
その後は新逗子発特急1本が都営車5300形担当になりました。

ここでは、新逗子統合駅開業から5000形引退時までの歴史を振り返ります。

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【新逗子発千葉ニュータウン中央行】

北総開発鉄道(現北総鉄道)2期線(京成高砂~新鎌ヶ谷)開通と共に、都営浅草線とも直通運転を開始したのが1991(平成3)年3月31日です。このときは朝夕に都営浅草線西馬込への直通があるほかは、川崎への直通運転がメインでした。北総・公団線の電車はそれまでの新京成線松戸への直通運転に加えて、公団-北総-京成-都営-京急の5者直通運転も定期運行となりました。

このときから、1999(平成11)年7月31日のダイヤ改正までの僅か8年間に過ぎませんでしたが、新逗子発千葉ニュータウン中央行という5者直通を最大限に活用した列車が平日に設定されていました。逆方向の列車も含めて、この長距離列車は1-3本しか設定されない寡少な存在でした。

川崎以南での「千葉ニュータウン中央」と北総・公団線内での「新逗子」の行先表示を見る機会が少ない分、注目度も高まります。とくに行先文字の多い「千葉ニュータウン中央」は、京急線内の急行表示と急行灯点灯とあわせて、5000形撮影意欲が湧く列車でした。

ここでは、8年間に及ぶ新逗子発千葉ニュータウン中央行(印西牧の原行含)直通列車に焦点を当てて、その歴史をまとめてみます。5000形引退(1995年7月)後の動向も含めて記述します。

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【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】

こちらでは、都営車両を使用する新逗子ー都営/京成/北総線直通急行列車の歴史のうち、新逗子発北総線直通列車が一旦廃止されて5000形も用いられることがなくなった1995年4月改正より、京急蒲田以南の急行列車が全廃される(※)1999年7月改正までを取り上げます。(※正月箱根駅伝の川崎折返し・緊急時を除く)

1995年4月改正より、このロングラン運用に北総・公団車が新たに加わりました。その後も、ダイヤ改正毎に細かな変化がみられます。

特筆は北総線内発新逗子行が1本増加して4本体制にまでなること、一時期北総・公団車ではありますが、北総線内で「急行新逗子」の行先表示の列車が登場しています。

また、都営車を用いる京急線直通特急運用の絡みで新逗子→京成高砂が1本増加したこともあります。

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