2007年9月16日 (日)

【07A】 神武寺 A

Jimmuji_5101_21t_940705 《横浜市金沢区を越えて逗子市へ》
神武寺は京急逗子線の終点新逗子の1つ手前の駅です。
 隣駅の六浦は横浜市金沢区、神武寺は逗子市内で、いよいよ終点に近づいた感のする駅です。駅そばに小高い山がそびえ、駅東側は米軍住宅の敷地ということもあって、駅ホーム周囲は静かな場所です。

都営車にとっては、逗子線は京急線への長距離乗入れ先でもあり、1981年以降10数年にわたり、逗子線でも活躍の姿が見られました。

《山をバックに》
京急線は南太田以南ではトンネルも点在する地形になり、小高い山や丘も沿線にみられます。
 そのなかで、山をバックに撮影できるポイントとして、神武寺駅に注目しました。この画像は、京急800形の乗務員室仕切窓越しに新逗子行5000形を撮ったものです。狙っていたというよりは、たまたま撮影できたようなものです。架線柱が気になりますが、うまいこと山を背景にした写真が撮れました。
撮影は1994(平成6)年7月5日、5000形にとっては最後の夏となる季節でした。

▼5101-5104は1968(昭和43)年5月泉岳寺-大門間開業向け4次車で登場(日本車輛製造)、1995年4月28日廃車。

《日中も逗子線内を走った21T》
新逗子(1981年ー1985年間は逗子海岸)まで乗入れる運用では、折り返しでそのまま都営線まで戻る運用だけでなく、神奈川新町までの京急線内急行運用につくことが、よくみられました。
ところが、この21Tは、都営線からの直通運用とは無関係に新逗子までの運用に入り、神奈川新町ー新逗子・金沢文庫ー新逗子の急行運用に充当されていました。そのため、北総・京成線からの新逗子行が朝のうちに折り返していくのに対して、21Tは日中でも逗子線内を走っていました。

続きを読む "【07A】 神武寺 A" »

【07B】 神武寺 B (新逗子)

Jimmuji_5108_21t_2 

《新町は表示できるようになったけれど》
急行新逗子発金沢文庫行です。全駅各駅停車ですが、急行列車として設定され、列車にも「急行」表示がなされます。

ところが、5000形の行先表示幕には「文庫」あるいは「金沢文庫」「新逗子⇔文庫」の設定がなく、このように行先名なしの急行列車で運行されています。途中3駅停車の列車ですから、案内放送等でフォローできるものと思われます。

都営車には「成田空港」・「戸越」等、頻繁に使用されることのない行先表示が複数用意されていたのに、撮影当時毎日使用する行先表示「文庫」がないのです。
以前も神奈川新町行の行先表示の設定がなく行先表示幕が白幕のまま、運転室内部(正面向かって左の窓内側)に「神奈川新町行」の札を掲げて運行されていました。その後、電動幕化の際に「新町」は挿入されたものの、「文庫」は設定されず、また短区間運行の故かサボの掲出もなく、このような白幕となったようです。

▼5105-5108は1968(昭和43)年5月泉岳寺-大門間開業向け4次車で登場(日本車輛製造)、1995年4月28日廃車。

続きを読む "【07B】 神武寺 B (新逗子)" »

2007年7月16日 (月)

【逗子直通急行に関して】(1)

現在都営車が新逗子へ乗り入れる運用は特急だけになりました。ところが5000形が健在だった頃、長期間にわたり平日朝3本だけの逗子線直通列車が急行列車で運行されていました。自分が5000形を撮影していた頃も、「新逗子」行は注目の列車でした。

5000形が逗子線へ直通していたのは1981年-1995年までの14年間、80年代の一時期だけ休日日中に逗子直通急行が片道20本も設定されていましたが、京急線内運用を除けば、概ね平日朝3本直通列車の歴史でした。

この軌跡を簡単にまとめてみました。

続きを読む "【逗子直通急行に関して】(1)" »

【逗子直通急行に関して】(2)

逗子線直通運用が増加した時代は長くは続きませんでした。
1988年改正で休日の新逗子行直通急行が一気に消滅、平日朝のみ直通の姿に戻ります。

そして、1991(平成3)年の北総・公団線直通運転開始と共に、新逗子ー北総・公団線直通列車が登場します。そして次第に8両編成化されていき、1994年末には3本とも8両編成運用が所定になりました。

5000形は翌1995(平成7)年7月に全車営業運転終了。直通運用は5300形が引き継ぐものの、1999(平成11)年7月ダイヤ改正で蒲田以南の急行列車の設定が廃止されたことで、都営車による逗子線直通急行の歴史も終わります。
その後は新逗子発特急1本が都営車5300形担当になりました。

ここでは、新逗子統合駅開業から5000形引退時までの歴史を振り返ります。

続きを読む "【逗子直通急行に関して】(2)" »

【新逗子発千葉ニュータウン中央行】

北総開発鉄道(現北総鉄道)2期線(京成高砂~新鎌ヶ谷)開通と共に、都営浅草線とも直通運転を開始したのが1991(平成3)年3月31日です。このときは朝夕に都営浅草線西馬込への直通があるほかは、川崎への直通運転がメインでした。北総・公団線の電車はそれまでの新京成線松戸への直通運転に加えて、公団-北総-京成-都営-京急の5者直通運転も定期運行となりました。

このときから、1999(平成11)年7月31日のダイヤ改正までの僅か8年間に過ぎませんでしたが、新逗子発千葉ニュータウン中央行という5者直通を最大限に活用した列車が平日に設定されていました。逆方向の列車も含めて、この長距離列車は1-3本しか設定されない寡少な存在でした。

川崎以南での「千葉ニュータウン中央」と北総・公団線内での「新逗子」の行先表示を見る機会が少ない分、注目度も高まります。とくに行先文字の多い「千葉ニュータウン中央」は、京急線内の急行表示と急行灯点灯とあわせて、5000形撮影意欲が湧く列車でした。

ここでは、8年間に及ぶ新逗子発千葉ニュータウン中央行(印西牧の原行含)直通列車に焦点を当てて、その歴史をまとめてみます。5000形引退(1995年7月)後の動向も含めて記述します。

続きを読む "【新逗子発千葉ニュータウン中央行】" »

【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】

こちらでは、都営車両を使用する新逗子ー都営/京成/北総線直通急行列車の歴史のうち、新逗子発北総線直通列車が一旦廃止されて5000形も用いられることがなくなった1995年4月改正より、京急蒲田以南の急行列車が全廃される(※)1999年7月改正までを取り上げます。(※正月箱根駅伝の川崎折返し・緊急時を除く)

1995年4月改正より、このロングラン運用に北総・公団車が新たに加わりました。その後も、ダイヤ改正毎に細かな変化がみられます。

特筆は北総線内発新逗子行が1本増加して4本体制にまでなること、一時期北総・公団車ではありますが、北総線内で「急行新逗子」の行先表示の列車が登場しています。

また、都営車を用いる京急線直通特急運用の絡みで新逗子→京成高砂が1本増加したこともあります。

続きを読む "【新逗子発都営線直通 都営・北総車両】" »

フォト
2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ
電車画像 Powered by SEO